ウナコルダの効用

先日、さる調律師さんから聞いた話。

ピアノのウナコルダ(グランドピアノの左のシフトペダル)の隠れた効果について。
これを踏むと鍵盤全体が右に移動して、3本の弦を打っていたハンマーが2本だけを打つようになることはよく知られています。

曲想やppなど必要に応じてこれを遣うことは一般的で、単純にいうと、鳴らす弦が少なくなるのでそのぶん音が小ぶりになるわけですが、のみならずハンマーの弦溝の位置をわずかにずらすことで、音色の変化をつけることができます。

下手な人がこれを使うと、ただこもったような音になるだけですが、ピアノのペダルは左右ともに、いかにそれを必要量適確に使うことが出来るかのコントロールの妙がポイントでしょう。
ペダル操作は、ある意味、指運動よりよほど繊細な耳と感性が必要で、アマチュアもプロも、ただバンバン弾くことだけが念頭にある人には最も難しい領域だろうと思います。
むろんマロニエ君なんぞはできませんが、それほど精妙かつ重要な領域であることはわかります。

これを天性の美意識と神業的な技巧によって、多彩な音色を自在に創りだすことができた代表格がミケランジェリで、彼のあの濃密な絹織物のような音の世界は、精緻を極めた自在なペダルに負うところも大きいのは間違いありません。

何年か前にラ・フォル・ジュルネの小さな会場で行われたコンサートで、ある女性ピアニストがベートーヴェンの中期ソナタを弾くのに、このシフトペダルをやみくもに使うのには閉口したことがあります。
どう考えてもまずはタッチで表現を変えるべき場所で、いちいちシフトペダルを踏むので、そのつど音色がこもったり鮮明になったりの行ったり来たりだけで、それが肝心の演奏表現に結びついているとはとても思えないものでした。さらにこのピアニストは、ガバッと踏むか、離すか、つまりON/OFFだけの踏み方で、その途中の段階が微塵もないのには呆れました。

あっと…、話が逸れました。
その調律師さんによる通常見落とされているウナコルダの効果とは、これを踏んだ時のほうが音が減衰しにくくなるという、これまで思ってもみなかったことで目からウロコでした。…いや、でも、よくよく考えてみたら、本能的にはまったく感じていないわけではなく、かすかに心当たりのようなものがあるような気も…。深夜などにこのペダルを踏んで遠慮がちに弾くときに、ある独特な心地良さというか豊かさみたいなものがあることは、かすかな自覚がありました。
単に音が小さいとかソフトということ以外に、なにか言い知れぬ心地よさがあったのは、そう言われてみると、この通常より伸びる音のせいだったのかもしれません。

これは音響学的にも証明されていることだそうです。
弦から駒を通して響板に広がって増幅される音は、3本打弦されたときより、2本打弦されたときのほうがエネルギーが小さくて音に変換されるにもやや時間がかかり、それだけ減衰の速度も遅くなるということだそうです。
急峻な山に対して、なだらかな山裾の稜線がどこまでも続くようなものでしょうか。
さらには左の打弦されない弦も隣の弦の振動にひきずられて逆位相に動くのだそうで、これも減衰にしくくなる要素のひとつだとか。

比較に単音を聴いてみたところ、ウナコルダを踏んだときのほうが明らかに音が伸びるのはびっくりでした。

音響学などの専門領域はチンプンカンプンですが、自分なりの印象としては、お寺の鐘なども力任せに叩くより、ほどよい力で突いた方が音がきれいなだけでなくその余韻がいつまでも続くようなものかと思いました。
また、想像ですが、3本弦より、2本弦のほうが音になるパワーが少ないのは当然としても、そのぶん入力に対する響板の面積も、相対的に大きくなるのかとも思いましたが、どうでしょう…。

後日、この件に関する資料を送っていただきましたが、そこにあるグラフによれば、シフトペダルを踏んだ時とそうでないときでは、立ち上がりでは約10dBの差があって当然ペダル無しのほうが音が大きいわけですが、3秒後にはグラフの線はクロスし、右肩下がりに減衰する一方のペダル無しに対して、ペダル有りのほうは70dBあたりを保持して、5秒後には10dB近くもペダルを踏んだ音のほうが大きな音が持続していることに驚かされます。

こうなると、ウナコルダをピアニシモや音色の変化だけでなく、音の持続性という目的をもって巧みに用いることができれば、伸びのある独特な響きや音像を作り出すことができるのだそうです。しかるに、これはプロのピアニストでも知らない人が多く、貴重な表現手段のひとつを知らぬまま演奏していることになるわけです。

尤も、そこまでデリケートな表現を必要とするような、真に創造的なピアニストが果たしてどれくらいいるかとなると、甚だ疑問ですが。