アイノラといえばシベリウスが家族と暮らした住まいとして有名です。
そこはヘルシンキから北へ30キロのヤルヴェンバーという美しい場所だそうで、シベリウスが30代のとき、その地に1500坪ほどの土地を購入して木造の家屋を建て、家族と共に終生ここで生活したと伝えられています。
アイノラという名は、最愛の夫人の名がアイノであることから、「アイノがいる場所」という意味でつけられ、家は現在も保存されて夏季には一般にも公開されているとか。
そのアイノラには、シベリウスが50歳の誕生日にプレゼントされたというスタインウェイがあり、このピアノを使ってシベリウスの作品を録音したCDがあることを知り、さっそく購入してみました。
演奏はシベリウス研究家としても有名なピアニストのフォルケ・グラスベックで、録音は2014年5月。
シリアルアンバーは#171261で、調べてみると1915年製とのこと。
シベリウスは1865年生まれなので、まさに彼が50歳の時に製造されたピアノのようです。
ネットからもアイノラの自邸内部の写真をあれこれ見てみましたが、なんとはなしにB型のように見えますが、もうひとつ確証は得られませんでした。
その演奏は、さすがにシベリウス研究家というだけあってか、非常にこの作曲家を尊敬し、畏敬の念を払った丁寧な演奏で、落ち着いて作品に耳を澄ませることの出来る演奏だったと思います。
さて、最も興味をそそられた、シベリウス自身が使っていたという収録時点で99年前のスタインウェイですが、そのふわりとした柔らかい音にいきなり惹き込まれてしまうようでした。
楽器の音には時代が求める要素も反映されているとはいうものの、現代のピアノが軒並み無機質に感じられてしまうほど、温かい響きで、ストレートで飾り気がなく(飾らなくても充分に雰囲気を持った)、まったく耳に負担にならない性質の音であることに驚かされてしまいます。
とりわけ一音一音のまわりに波紋のように広がる余韻は、やわらかで、現代のピアノが機械的な音になったことを思い出さずにはいられないものです。
むろん、素材の違いやらなにやらと、いろいろあることは承知しつつも、こういうピアノを聴くとピアノ本来の音というのは那辺にあるのだろうとつい考えさせられてしまいます。
音の感じからして、弦やハンマーも、もしかしたらオリジナルのままという気もしないではありませんが、根底にもっているものの素晴らしさは、情感が豊かで温かく、こういうピアノを持っていたら新しいピアノには完全に興味を失ってしまうのではないかと個人的には思ってしまいました。
それでも耳を凝らせば、低音がいささか痩せていたり、ところどころに音が伸びきれないようなところもあるけれど、なにしろアタック音が生き物の声帯のように自然で、同時にまわりの空気がふわっと膨らむような豊かさに満ちています。
これにくらべると現代のピアノは、表面上はずいぶんゴージャスで、ある種の高級感さえ漂っていますが、機械的な冷たさや無表情を感じずにはいられません。
こういう音を聴いてしまうと、現代のピアノはどこかハイテクっぽくもあるし、我々の想像も及ばないような技術によって、鳴らないものを遮二無二鳴らしているような印象さえ覚えます。
同じ才能でも、こういうピアノを使うのと現代の新しいピアノを使うのとでは、湧き出るイマジネーションもずいぶん違ったものになってくるような気がします。
耳に刺さるような、印刷されたような音を出すピアノを使っていれば、しらずしらずにそういう要素が作品にも影響してくるように思うのです。
その証拠に現代のピアノ弾きは、音楽的な演奏をしようとするとやたらビビって骨抜きになり、注意ばかりが先に立つ演奏になって奔放さや活力を失っています。とくにアマチュアはいちいち深呼吸のような身振りをしたり、小節やフレーズのおわりでは一つ覚えのように大仰にスピードを落とすなどして、それがあたかも音楽表現だと錯覚するのでしょう。
もしマロニエ君に経済的な余裕があるなら(ありませんが)、ぜひとも戦前の美しい声をもったピアノを買いたいものだと思いました。