ケンプのショパン

よろず趣味道において、掘り出し物に出会うことは共通した醍醐味のひとつかもしれませんが、これがなかなか…。

演奏家やレーベルなど、ほぼ内容がわかっているものは安心ではあるけれど、そのぶん発見の楽しみや高揚感は薄く、予定調和的に楽しんで終わりという場合も少くありません。もちろん予想以上の素晴らしさに感銘する場合もあれば、期待はずれでがっかりということもあります。

いっぽう、セールや処分品などでギャンブル買いしたものは、パッケージを開けて実際に音を聞いてみるまではハラハラドキドキで、中にはまるで知らないレーベルの知らない演奏家、知らない作品と、知らないづくしのものもあったりで、そんな中から思いがけなく自分好みのCDなどがあると、その快感はすっかり病みつきになってしまいます。

最近はCD店も縮小の波で小さく少くなりましたが、この冒険気分というのはなかなか抜けきらないもので、ときには気になるCDを手にすると、処分品でもないのに一か八かの捨て身気分でレジに向かってしまうこともあったりしますし、ネットでも同様のことがあるものです。

ギャンブル買いである以上は、ハズレや空振りも当然想定されるわけで、それを恐れていてはこの遊びはできません。それはそうなんですが、このところはすっかり「負け」が込んでしまって、いささか参りました。

良くないと思うものの具体名をわざわざ列挙する必要もないけれど、日頃のおこないが悪いのか、運が尽きたのか、マロニエ君の勘が鈍ったのか、連続して5枚ぐらい変てこりんなものが続き、内容が予測できるはずの演奏家のCDさえも3枚はずれてしまいました。さらにその前後にも、なんだこれはと思うようなもの…つまり返品できるものなら返品したいようなCDが続いてしまい、こうなるとさすがにしばらくはCDを買う気がしなくなりました。

そんな中で、かろうじて一定の意味と面白さが残ったのは、ヴィルヘルム・ケンプのショパンで、1950年代の終りにデッカで集中的に録音されたものが、タワーレコードの企画商品として蘇った貴重な2枚組です。
内容はソナタ2番と3番、即興曲全4曲、バルカローレ、幻想曲、スケルツォ第3番、バラード第3番、幻想ポロネーズその他といった充実した作品ばかりです。

ケンプといえば真っ先に思い出すのはベートヴェンやシューベルトであり、ほかにもバッハやシューマンなど、ドイツものを得意とするドイツの正統派巨匠というべき人で、そんな人がまさかショパンを弾いていたなんて!と思う人は多いはずです。

しかも聴いてみると、これが予想以上にいいのです!
とりわけマロニエ君が感銘を受けたの4つの即興曲で、これほど気品と詩情でこまやかに紡がれたショパンというのはそうざらにはありません。わけても即興曲中最高傑作とされる第3番は、これまた最高の演奏とも言えるもので、こわれやすいデリケートなものの美しい結晶のようで、ケンプのショパンの最も良い部分が圧縮されたような一曲だと思います。

逆にソナタやバルカローレなどはやや淡白な面もあって、もう少し迫りやこまやかな歌い込みがあってもいいような気もしますが、それでも非常に端正な美しいショパンです。

ただし、全体としてはケンプらしい中庸をいく演奏で、どちらかというと良識派の模範演奏的な面もあるといえばいえるかもしれませんが、それでもショパンを鳴らせるピアニストが少ない中で、けっこうショパンが弾けることに驚きました。
晩年はなぜショパンを弾かなかったのだろうと思います。

本人ではないのでわかりませんが、やはり当時は今以上に自分につけられたレッテルに従順でなくてはならなかったのかもしれない…そんな時代だったのだろうかとも思いました。ただ、実演ではベートーヴェンなどでもレコードよりかなり情熱的な演奏もしましたから、そんなテンションで弾かれる巨匠晩年のショパンも聴いてみたかった気がします。

このCDの中では幻想曲などが、やや情の勝った演奏だという印象があり、ケンプという人の内面には、実はほとばしるような熱気もかなりあったのだろうと思わずにいられませんでした。

なんでも手の内を見せびらかして、これでもかと演奏を粉飾してしまう現代のピアニストとはずいぶん違うようです。