黄金期のホロヴィッツ

『ホロヴィッツ・ライヴ・アット・カーネギーホール』は少しずつ聴き進んでいますが、1953年〜1965年までのコンサート休止期間の前後では、何が変わったかというと、最も顕著なのは録音のクオリティだと思いました。

というか、演奏そのものは本質的にあまり変わっておらず、40年代までは多少若さからくる体力的な余裕を感じるのも事実ですが、50年代に入ると演奏も黄金期のホロヴィッツそのもので、12年間の空白の前後で著しい変化が現れているようには思いませんでした。
ただ、久しぶりに聴いた1953年のシューベルトの最後のソナタなどは、やはりこの魔術師のようなピアニストにはまったく不向きな作品で、どう聴いてもしっくりきません。

このボックスシリーズでは、従来は編集されていた由の音源にも敢えて手が加えられず、ミスタッチなどもコンサートそのままの演奏を聴くことができるのは楽しみのひとつでしたが、とくに耳が覚えている1965年のカムバックリサイタルなどでは、それがよくわかりました。

冒頭のバッハのオルガントッカータなどもより生々しい緊迫感が漲っているし、続くシューマンの幻想曲もホロヴィッツとは思えぬ危なっかしさに包まれてドキドキします。この日、12年ぶりのコンサートを前に緊張の極みでステージに出ようとしないホロヴィッツを、ついには舞台裏の人間がその背中を押すことで、ようやくステージに出て行ったというエピソードは有名ですが、この前半の演奏を聴くとまさにそんなピリピリした緊迫感が手に取るように伝わってきました。

バラードの1番などはたしかにアッ…と思うところがいくつかあって、ここでもオリジナルは初めて耳にしたわけですが、逆にいうと、昔から音の修正技術というのはかなり高度なものがあったのだなぁと感心させられます。

翌年の1966年のカーネギーライブは、前年のカムバックリサイタル同様のお馴染みのディスクがありましたが、66年は4月と11月、12月と三度もリサイタルが行われており、この年だけでCD6枚になりますが、その中から選ばれたものが従来の2枚組アルバムとなったらしいこともわかりました。

これを書いている時点では、とりあえず1966年まで聴いたところですが、カムバック後の10数年がホロヴィッツの黄金期後半だろうと思います。晩年は肉体的な衰えが目立って、演奏が弛緩してくるのは聴いている側も悲しくなりますが、この時代まではハンディなしのすごみに満ちていて、まさに一つ一つがあやしい宝石のような輝きをもっています。

破壊と優雅、刃物の冷たさと絹の肌ざわりが絶え間なく交錯するホロヴィッツのピアノは、まさに毒と魔力に満ちていて、この時代の(とりわけアメリカの)ピアニストがそのカリスマの毒素に侵されたであろうことは容易に想像がつきます。

ホロヴィッツの魔術的な演奏を支えていたもののひとつが、彼のお気に入りのニューヨーク・スタインウェイです。メーカーのお膝元で、数ある楽器の中から厳選された数台のピアノがホロヴィッツの寵愛を受け、自宅や録音やコンサートで使われたといいます。

それでも、よく聴いていれば音にはムラもあり、今日で言うところの均一感などはいまひとつですが、ニューヨーク・スタインウェイ独特のぺらっとした感じのアメリカ的な音、さらにはドイツ系のピアノにくらべると、音に厚みがなく精悍な野生動物のようなところもホロヴィッツの演奏にピッタリはまったのだと思います。

でもそれだけのことなのに、30年以上むかし、日本のピアノメーカーの技術者達は、ホロヴィッツのピアノにはなにか特別な仕掛けがあるのではということで、日本公演の折だったかどうかは忘れましたが、開演前のステージへ数人が許可なく這い上がっていってピアノを観察したあげく、あげくには床に仰向けになって下から支柱や響板などの写真に撮ったりしたというのですから驚きます。

まあ、それほど強い興味と研究心があったということでもありますが、この時代はまだそんなことがただの無礼や苦笑で許された時代だったのかもしれませんね。

まだまだ聴き進みますが、ホロヴィッツばかりずっと聴いていると、神経が一定の方向にばかり張りつめるのか、ときどき途中下車してほかの演奏が聴いてみたくなるのも事実です。
でも買ってよかった価値あるCDであることは間違いありません。