芸能人化?

知人がコンサートに行って、一通りでなく憤慨して帰って来られたようでした。

その方はユンディ・リのピアノリサイタルに行かれたものの、そのあまりの演奏の酷さに驚き呆れ、その不快感が翌日になっても収まらず、まだ続いているというのです。

曲目はオールショパンで、バラード全曲や24の前奏曲などであったようですが、冒頭のバラード第1番から、まったくやる気のない演奏で、「この人、ピアニストをやめるつもりか…?」とさえ思ったといいます。

どの曲でも楽譜を平置きにして、それを自分でめくりながら弾くというもので、大きなミスがあったり、パッセージごとすっ飛ばされたりと、とても本気で弾いているとは思えないもので、会場もまったく盛り上がらず、拍手もまばらだったといいます。
とりわけ24の前奏曲はCDの新譜が出たばかりで、普通なら時期的にもよほど手の内に入っているのが普通であるのに、この日のユンディ氏はこれの暗譜もおぼつかないといった様子で、ずっと楽譜を見ながらという状態が続いたそうです。

今も日本ツアーが全国各地で開かれるようですが、リサイタルという名のもとにギャラを取りながら練習しているといった風情で、自分の名声をどう思っているのかと首を傾げるばかりです。

ソロリサイタルでも、楽譜を見ながら弾くこと自体が悪いことではなく、晩年のリヒテルはじめ、ルイサダ、メジェーエワなど、現役でも楽譜を置いて弾くピアニストはいますし、楽譜を見て弾いたからといって、即それが非難されるものではありませんが、ユンディ氏の場合、どうもそういうこととは様子が違うようです。

むろんピアニストも生身の人間なので、上手くいくときもいかないときもあるし、気分が乗らないこともあるでしょう。しかし、いったんステージを引き受けた以上、プロの世界が厳しいのは当たり前。とくに一流人は、どんなに調子が悪くても「演奏クオリティの最低保証」ができないようでは、ステージに立つべきではありません。

わけてもユンディ氏は、ショパンコンクールの優勝者で、ドイツ・グラモフォンの専属アーティストで、世界を股にかけて活躍する第一級のピアニスト、チケット代も最高クラスのひとりですし、当然それに相当するギャラをしっかり受け取っているはずです。

ちなみに知人が聴いたのは3階のB席で9000円、S席は13000円だそうです。
しかも多くの人は数カ月前から前もってチケットを購入して楽しみにしていたのはもちろんのこと、この金額ともなれば、それなりの演奏を期待しているのは当然です。音楽的アプローチやセンスや解釈が合わないことはやむを得ませんが、無気力な演奏で惨憺たるステージになってしまうというのは、いったいどういうことなのかと思います。

そんな話に呆れていると、別の友人が変な話を持ってきてくれました。
11月2日(月)のYahoo!ニュースによると、この福岡シンフォニーホールでのリサイタルのわずか二日前、ユンディ氏はソウルでショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏中、指が止まってしまうというアクシデントがあり、それを「指揮者とオーケストラに責任転嫁した」と報じられた由。それはブログで本人が否定と謝罪をしたけれど、韓国での批判は収まらず「芸能界で悪ふざけしすぎ」「芸能人だから練習するひまもない」「サイドビジネスが忙しいようだ」「ラン・ランを見習うべき」といったコメントであふれているとあります。

それに関連して他の記事にも目を向けると、まだありました。今年10月に開催され終了したショパンコンクールにおいても、ユンディ氏は史上最年少の審査員に抜擢されながら、そのうちの3日間を欠席したというもの。その理由というのがちょうどこの時期に上海で行われた人気俳優とモデルの結婚式に出席するためというのですから、こちらも「恥さらしな行為」として大ブーイングだったようです。

さらに別の記事(Record China)によると、最近のユンディ氏は女性スキャンダルばかりが話題で、台湾女性、中国の人気女優、香港の女優など次から次にお相手を変えては世間を騒がせているといいます。
もちろんクラシックの音楽家が聖人君子であるなどとは思ってもいませんし、多少のことはむしろ大目に見られる世界だろうと思いますが、なんとなく全体として受ける印象が、あまり気持ちのいいものではないのも事実です。
「かつては記者に追いかけられ、スキャンダルを捏造される被害者的な立場だったが、最近では進んで話題を提供し、自らを“娯楽化”していると批判も浴びている。」ともあります。へええ。

世界的な演奏家などが、ある意味何をやっても許されるのは、あくまでも本業において一流の仕事をやってのけることへの代償としてですから、肝心のピアノがボロボロになるようではだれも見向きもしなくなるような気がします。
せっかくあれだけの才能がありながら…惜しいことです。