位置のズレたキャプスタンを調整するため、ディアパソンの鍵盤一式を持ち帰っていただいて1週間余、作業は無事に終わったとのことで、いよいよ「矯正」されて戻ってくる日を迎えました。
我が家は外の入り口から玄関まで階段があり、調律師さんと二人、これをエッサエッサと抱えて上まで登るのはなかなかに骨の折れる力仕事です。無事にピアノ前の椅子に置いて手を離したときは、両肩が上下するほど息遣いも荒くなりました。
近ごろは女性のコンサートチューナーも増えていると聞きますが、さらに奥行きのあるフルコン用の鍵盤一式を自在に動かせないとこの仕事はできないでしょうから、かなり大変だろうなあと思ったり。
さてさて、果たしてどんな結果になるか興味津々ですが、さすがにマロニエ君も、この領域は期待した通りに右から左に事が進むことはなかなかないことを自分なりに経験してきているので、単純にさあこれで解決というようには思わないぐらいの覚悟は一応ついています。
それでも、ズレていたものが正しい位置に戻ったことによる良さはきっとあるはずなので、期待はまず半分ぐらいに抑えながらキーに触れてみると、ん?!?
ホ、かるい!
少なくともこのピアノと過ごした数年の中で、一度も経験したことのなかった軽さに到達できていることに、嬉しいとも驚いたともつかない、むしろじんわりした達成感が遅れてやってくるような…不思議な気分になりました。
長らく預けていたこともあって、あれこれのチェックや調整もしていただいたようで、この軽さがキャプスタンの位置の修正のみによるものではなかろうと思いますが、とにかく、軽くなったことは間違いなく今眼の前にある事実なわけで、ひとまずは大願成就というところで胸を撫で下ろしました。
マロニエ君としては、ひとまずこれで充ーー分満足なのですが、調律師さんとしては、仕上げた鍵盤一式をポンとピアノへ放り込んでハイ終わりというわけにもいかないようで、ここからまたピアノに合わせてさらなる現場調整と相成ったのはいうまでもありません。
こちらは何はともあれ、軽くなったことばかりを喜んでいるわけですが、聴けば鍵盤がやや深めになっているとかで、工房での作業時の状態と、実際のピアノの棚板に置いた状態では微妙な違いが出てくるのだそうで、要するにそのあたりの調整作業に取りかかられました。
しばらくののち、一区切りついたところで弾いてみると、ん?んんん?
軽くなったはずタッチがまた少しネチャっとしてきたようで、さっきのはつかの間の喜びだったのかと思いました。
調律師さんももちろんこの変化はすぐに感じ取られ、その後もあれこれの調整をされましたが、あいにくとこの日は時間切れとなり、少し挽回したところでまた次回へ持ち越しということになりました。
不思議なのは、最低音から五度ぐらいの間はひじょうに軽やかなのに、そこから上になると、しだいに変な粘りみたいなものが出てくるという状況です。一度はひじょうに軽快になったことは事実だったので、状態としてはそこまできていると思われ、再度の調整に期待することになりました。
本音をいうと、軽くなったところで微調整はそこそこにして、整音と調律をしてもらって、ひとまず気持よく弾いてみたいものですが、要はここらが自宅での作業の限界を感じます。我が家がクレーンの必要ない環境なら、ピアノごと調律師さんに預けたいところです。
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余談ですが、季刊誌『考える人』の2009年春号に掲載された松尾楽器の技術部長の方の談よると、整音に使うピッカーの針は通常3本なのに対して、この方がフェルトの幅に沿ってより均等にゆるませるために針数をふやしたピッカーを作ってみたところ、良い結果がでたというようなことが書かれています。
雑談中、たまたまそんな話になったところ、「あ、私も自分で作って持ってます」と無造作に工具かばんをゴソゴソされて、果たして何本もの「それ」が目の前に出てきたのにはびっくりでした。
技術者というのは皆さんすごいもんだとあらためて思いました。