ショパンコンクールのピアノ

今年はショパン・コンクールの年だったにもかかわらず、詳しい日程などもよく知らないうちにコンクールは始まり、そして終わっていました。

ネットニュースで韓国のチョ・ソンジンが優勝というニュースを見るにおよんで、ああ彼か…と思うと同時に、ソンジンは日本でもかなりコンサートなどをやっていたこともあり、ショパンコンクールからまったく未知の新人が登場したという新鮮味もないのはいささか残念でもあります。
ですが、最近はすでにステージの経験も積んだセミプロのような同じ顔ぶれが著名コンクールを渡り歩くのが常のようでもあり、まあそういうところか…と思うことに。

終了しているのに今更という感じもありましたが、逐一配信されているはずの動画を探してみると、コンクールのホームページには行き当たったものの、最近はサイトの作りも大掛かりなわりに、単純に動画を見ることが意外に容易ではないようです。

こういうことの得意な人には雑作もないことかもしれないが、めっぽう苦手なマロニエ君にしてみれば、あれこれ苦労している間に興が削がれてきて、だんだんどうでもいいような気になってきたりで大変です。

コンクール自体が終了して、サイトの内容も日ごとに変わっているのどうかわかりませんが、あるとき、出場者と使用ピアノが記された表のようなものを見ることができました(もう一度見ようと思っても、もうわかりません)。それによると例の4社のピアノのうち、今年はヤマハとスタインウェイが大半を占め、カワイはほんの僅か、ファツィオリに至っては一人か二人で、後半の出番は皆無だったようです。

以前どこかのコンクールでは、ファツィオリに人気が集中したというようなことも聞きましたがが、今回はまた一転どうしたわけなのでしょう。

せめて限られた動画だけでも見てみようと、たまたまあった第1次で8人ぐらい出てくる4時間ちょっとの映像があったので、それをかい摘んで見てみました。果たしてそこに聴くヤマハ、スタインウェイ、カワイの順で出てきたピアノは、どれもかなりきわどい感じでマロニエ君の好みとは程遠いものでした。

共通しているのは、コンクール用の特別仕様なのか、やたらパンパン鳴るばかりで深みのない、どちらかというと電子ピアノ的な音で、とくにヤマハなどはいささか疲れてくる感じの音に聴こえますが、そのヤマハを選ぶ人がずいぶん多かったようです。
スタインウェイも似たような傾向で、キーを押せばたちまち会場内に鳴りまくるといった感じで、馥郁たる響きやタッチによる音色の妙などというものは感じられません。
カワイはそこにちょっと東欧的な郷愁のようなものがあるけれど、基本的には似た感じで、3台とも極限までチューンナップされたコンクール用マシンのようなイメージでした。
極端な話、コンクールの間だけ保てばいいというような考え方なのかもしれません。

こうなると、ファツィオリはどんな音だったのか、いちおう聴いてみたくなったものの、これがなかなかうまくいきません。

あれこれ探しているうちに、どなたかのブログに行き当たり、コンクールのピアノを担当した技術者にインタビューというのがあって、それを読んでいると、ファツィオリの有名な日本人技術者によれば、ショパンらしくあたたかい音に調整したアクションと、もうひとつチャイコフスキーコンクールで使ったアクションを準備していたところ、他社のピアノの傾向からショパン用のアクションは陽の目を見なかったというようなコメントが目に止まりました。

ピアノメーカーも戦いというのはわかりますし、出る以上は選ばれて弾かれないことにははじまらないのもわかります。でも、それがあまりに過熱してしまうと、それぞれのピアノの本来の持ち味というより、ショパンコンクール仕様の特別ピアノの戦いという限定枠バトルという感じで、そう割り切っておけばいいのかもしれませんが、なんとなくマロニエ君は釈然としないものも残ります。

もちろん企業たるもの、きれい事では立ち行かないのが世の常ですが、理想のピアノの追求というものとは、少し方向が違っているような印象を覚えます。むろん現地で聴けば素晴らしいものかもしれませんが。

気になったのは、あれだけ製品に自信満々だったファツィオリは、more powerをもとめて早くもフレームなどのモデルチェンジを敢行したとのことで、奇しくもマロニエ君がパワーピアノだと感じたチャイコフスキーコンクールでのファツィオリはそのニュータイプだったそうで、どうりでと納得でした。

コンサートグランドたるもの、大きなホールでオーケストラにも伍して使われるピアノなので、力強い鳴りというのもわかるけれれど、だんだんラグビー選手のようなマッチョピアノになっていくとしたら、個人的には嬉しいことではありません。

どんなピアノが選ばれるのか、どんなピアニストがどんな演奏で入賞するのか、どんな絵や小説が賞をとるのか、すべてはまず情報戦というか、それに特化した戦いの色合いを帯びてきているこの頃、やたらと先鋭化するばかりで、どうも素直に楽しめないものになってしまったようです。