ショパンの本

書店で『ショパンの本 DVD付』というのが目に止まりました。
これは音楽之友社から出ているムックで、この手はどちらかというとあまりそそられないマロニエ君ですが、今回はパラパラやって読んでみたい気になり買ってみることに。

ちなみに、ムックとはWikipediaによれば「雑誌と書籍を合わせた性格の刊行物で、magazineとbookの混成語、和製英語。」とあります。へええ。

本自体は、ショパンの生涯のダイジェストからはじまり、主要作品の解説、エディションや装飾音などについての記述など、ひとつひとつが深く掘り下げているわけではないけれど、ちょっと読むぶんにはそれなりに面白くできていると思います。
とりあえず半分ほど読んだところで、とくに印象に残ったのは矢代秋雄さんの「私のショパン」という文章で、ショパンをピアニズムや響きの美しさでばかり捉えるのは間違いで、その卓越した作曲技法や構成力のすばらしさ、対位法の手腕に高い価値を認める内容はさすがだと思いました。
言い古された安全な内容を、ただ並べ替えるだけのありふれた音楽評論家とはまったく違った、作曲家という創造者としての独自の視点と考えには、学ぶ点が多々ありました。

そうこうしているうちに、付属で綴じられたDVDがスムースにページを繰るにもじゃまになるし、その内容はどんなものだろうかと思い、読むのを一時中断してこっちを見てみることに。

果たしてピアニストの高橋多佳子さんによる演奏と、上記のショパンの一生のダイジェストをさらにダイジェストしたようなものの組み合わせで約60分の音と映像でした。

冒頭、ショパンの生家の写真を背景に初期のポロネーズが流れてきますが、そのピアノの音にぎょっとしてしまいました。かなりギラついた派手な感じの音で、ピアノは調整の仕方や演奏される環境によって音はかなり変わるものだとしても、まずスタインウェイとは思えないし、ベーゼンドルファーはさらに違う、ベヒシュタインのようなドイツ臭さもないし、むろんプレイエルでもない。
消去法でファツィオリか…とも思いましたが、残念ながらその短時間ではついにわかりませんでした。

で、そうこうしているうちにピアノごと演奏シーンが映しだされましたが、なんとそこにあるのはヤマハのCFXで「うわあ、そういうことか!」と思いました。なぜかヤマハというのはまったく念頭になかったので、答えを知ってみれば「なるほど」と思いましたが、あとからそんなことを言っても遅いですね。

善意に解釈すると、ショパンを意識した甘酸っぱい音作りがなされたのかもしれません。
戦前のプレイエルが、ふわっとやわらかな軽い響きの中で、一種独特の、腐敗しかけた果物のような甘い音を出し、それがショパンの音楽に見事にマッチングするのですが、しかしそういう複雑な音色とも違った印象でした。

さて、このDVDを見ていて、ふと目が釘付けになったことがありました。
カメラが鍵盤近くまで寄るシーンが何度かあり、ゆっくりした曲のときにそこで見えた鍵盤の動きです。

ヤマハのCFXなので必然的にピアノも新しいし、鍵盤は一分の隙もなく完璧な一直線に並んでおり、弾かれたキーだけがえらく従順に軽々と下にさがるかと思うと、指の力が抜けたとたん、一気にサッと元に戻ります。
これ、ごく当たり前のことを書いているようですが、その当たり前の動きをつぶさに観察していると、なんだか恐ろしいまでに磨きぬかれた、洗練の極致に達した精巧さというものの凄味をひしひしと感じずにはいられませんでした。

下に降りるときも、ただストンと下に落ちるのではなく、奏者の力加減を常に斟酌しながら、それが正確なタッチの動きとして反映されていて、まるで人間の指とキーのメカニズムがつながっているような動きと言ったらいいでしょうか。
さらに驚くべきは、返り=すなわち鍵盤が元の高さに復帰しようとする動きで、その際のこれ以上でも以下でもないというまさに適正な素早さといったら、見ているだけでほれぼれするような美しい動きで、「指に吸いつくような」とはまさにこういうことなんだと思いました。

マロニエ君はCFXは弾いたことはありませんが、視覚的にこれほど弾きやすそうな様子がこぼれ出ている映像は初めて見たような気がします。
これだけでもこの本を買った甲斐がありました。

音には好みなど主観の部分もあり、単純な優劣を決めるのは難しいものですが、その点でいうと、奏者の意のままになるアクションおよび鍵盤周りというのは、優劣の明快な領域ではないかと思います。
とりわけヤマハのアクションは、おそらく世界最高の精度を持つ逸品なのだろうとあらためて感じ入ったしだいで、ヤマハピアノを買うことの中には、ヤマハの優秀なアクションを手に入れるという意味も大きいのかもしれません。