ウエイトレス

とある平日の午後のこと。
仕事の都合で昼食を取ることができず、午後に外出したついでに、軽くなにか食べておこうとマロニエ君とこのときの連れの二人で、某ビルの地下にある中華料理店に入りました。

時刻は16時30分ぐらいで、ちょうど客足が途絶える時間帯なのか、店内に入ったときお客さんはゼロ、準備中かと思ったほどでした。

と、すかさず「いらっしゃいませ~、どうぞ~!」と声がして、ウエイトレスが出てきて奥の席へ案内されました。
奥は通常より床が15cmぐらい高くなったエリアで、壁際には電車のような横長のシートが配され、その前に幾つかのテーブルが並び、それに相対するほうだけ一人掛けの椅子が置かれるという、よくあるスタイル。

こちらもお客さんはゼロでした。
マロニエ君は連れのほうへ奥の席を譲り、一人掛けの椅子に腰を下ろし注文を済ませましたが、無意識に鞄を隣の椅子の上に置き、相方はシートが横長につながっているため、自分の少し横にやはり鞄を置いていました。
それにもうひとつ、やや大きな荷物があり、それをテーブルの真横に置きました。
いま考えても、この状況では特に問題になるようなことではなかったと思います。

するとウエイトレスは注文を聞き取った後、メニューを抱えたまま、「こちらは、ご遠慮いただいてよろしいでしょうか?」とマロニエ君の鞄のことを言い出しました。
さらに畳み掛けるように「それと、こちらのお荷物(テーブルの横においた荷物)は、あちらに置いていただいてよろしいでしょうか?」といささか命令調に言いました。

みると3mぐらい先に、わずかなスペースらしきものがあって、そこが大きな荷物の置き場であるということを言いたいようでした。すかさずウエイトレスは大きな網カゴのようなものをどこからか持ってきて床に置き、「バッグはこちらにお願い致します」というので、やむなくそこに鞄を入れました。
それに続けて相方も鞄を入れようとすると、「あ、そちらはそのままで結構です」といちいちこまかく干渉してくるのが気に触り始めました。

この時点でふたりともかなりムッとしていたのですが、まだ抑えていました。
ところがウエイトレスは、どうでも大きいほうの荷物を向こうへ移動させないと気がすまないらしく、「こちらのお荷物は、あちらにお願いしてもよろしいでしょうか?」と同じ言葉で二度言ってきたので、面倒くさくなり「どうぞ」といって知らん顔しました。要は『そんなにあそこに置きたいのなら、あなたが持って行けば…』という意味ですが、ウエイトレスはお客が「自分で」移動させることに強くこだわっているようで、じっと横に張り付いて、こちらが自分で動くのを待っています。
「なにがなんでも自分の指示に従わせる」ということのようです。

そりゃ、お店が混んでいれば、いわれなくても鞄を隣の椅子の上に置いたりはしないし、あれこれの協力は惜しみません。しかし、繰り返しますが、広い店内にお客は我々を除いて「ゼロ」であるにもかかわらず、飛行機ではあるまいし、なんでこの女性はこうまでムキになってひとつひとつの荷物の位置にこだわり、すべてを自分の采配に従わせようとするのか。

ついにマロニエ君もカチンと来て「どうして、鞄の置き場ぐらいで、そこまでうるさく指示するの?」というと、「は? こちらに置かれていると、他のお客さまをご案内できませんので」と虚しいような建前を振りかざしますが、実際は誰ひとり居ないのですから、これはもう嫌がらせ同然です。
好意的に解釈しても、物事を柔軟に考えることができず、自分はあくまで正しいことを言っているというつもりでしょう。

繁閑の別なく、いつもそうしているのか、荷物はこうだというカタチにさせないと「この人が、個人的感情で気がすまない」のだろうと思います。世の中にはときどきこういう性格の人がいるもので、臨機応変に判断するのではなく、自分こそがカタチで覚えて込んでいるため、状況を問わずそのカタチに収め込んでしまわないと許せないのだろうと思われます。

こういうことに無抵抗では従わないマロニエ君としては、最近はだいぶおとなしくしているつもりですが、大きい方の荷物を手ずから移動させることは、あまりにバカバカしいので絶対にしませんでした。
しかしウエイトレスもさるもので、決して自分で運ぼうとはせず、ついにそのままになりました。

もともと軽く食事でもしようということが、思いがけず嫌な雰囲気になったことはいうまでもありません。相方は「どういうこと? こんな店、食べる気しないですよね」というので、マロニエ君も大いに同感で、まだウエイトレスが立ち去って1分経つかどうかぐらいだったこともあり、サッと席を立ちました。

我々が出口に向かおうとすると、あれだけ口やかましく言ったウエイトレスはぽかんとした表情。その口から出た言葉は「もう、オーダーは通ってますけど…」とさっきよりトーンも低めでしたが、まだやっと鍋を出したぐらいのことはわかっているので、「こんなにガラガラなのに、あんなに命令的に指図をされてまで、食事をする気がしないのでやめます」といって店を出ました。
もう二度と行きません。