さらにひと手間

タッチが軽く生まれ変わったディアパソンでしたが、喜びもつかの間、想定外の変化が待っていました。

本当に軽くてごきげんな状態にあったのは、厳密にいうとはじめの一日のみで、その後は弾くにつれ、時間が経つにつれ、しだいにまたも粘りのようなものが出てきて、ちょっと様子がおかしくなってきたのです。
「ん?」とは思っているうち、数日後にはあきらかに状態が変わっていることを認識せざるを得ないまでの状態に後退してしまいました。

かといって、完全に昔のタッチに戻ったわけではないものの、軽やかさは潮が引くがごとくみるみる失われてしまったのは事実でした。ダウンウェイトを量るとおしなべて数グラム増加しており、やはりなんらかの変化が起きているようです。
ちなみにダウンウェイトを量る錘は、このピアノをOHしてくださった技術者さんが昔プレゼントしてくださったもので、こういうものがあると、なにかと重宝します。

さっそくBさんに報告すると、すぐに様子を見てくださることに。
果たして、ほぼ全域にわたって粘りのようなものがでているのは、キーを触るなり確認・同意され、さっそく再調整がはじまります。

概ねの見立ては次のようなものでした。

キャプスタンと接するウィペンのヒール部分のフェルトが、キャプスタン位置の修正によって、これまで接触していなかった毛羽立った弾力のあるフェルトの一部を含んでいたため、そこが使われ始めたことで短時間で凹んでしまい、結果的に打弦距離が伸びるなどして変化を起こしたのではないかということですが、あくまで推測の域を出ず断定ではありません。

結局、打弦距離などはたらきと言われる部分の再調整などをあれこれされたようです。

で、3度目の正直ではないですが、再び軽快なタッチを取り戻し、それから一週間ほど経ちますが、今度はとても落ち着いているようです。

タッチも音色も整ったことで、現在はとてもまとまりのあるピアノになりました。
ダイナミックでもゴージャスでもない、むしろ渋みのある控えめな音ですが、これまでが音色がバラバラでまとまらないイメージもあるディアパソンでしたので、いまはかなり端正なフリをして取り澄ましているようにも見えます。

細かい点をあげつらえばキリがないけれど、いちおうの完成形にかなり近づいたと思います。
これでもマロニエ君はあまり深追いはしない質なので、とりあえず満足ですし、やはりBさんのお仕事は見事だと思います。

それにしても、ピアノのタッチというものは、いまさらながら繊細精妙な領域で、各部のフェルトのわずかな馴染みひとつでも全体のタッチ感に思わぬ影響があるなどは驚きでした。
こういう経験は、日常のあれこれの場面においてもものを見る目が変わるようで、たとえば料理でも、素材の切り方、わずかな火加減、調味料のほんのひとふりでたちまち味は変わり、ひいては全体の印象を左右するということにも繋がるような気がします。


さて、昨夜は車仲間のお茶会があり、まったく同じ型の車でも、わずかな製造年の違いなどによって、微妙な、しかし明らかな乗り味の違いがあるのはなぜかということが話題になりました。
その中で一人が言うには、設計からスペック、タイヤやホイールのサイズまでまったく同一であっても、例えばホイール(アルミ)のデザインが違うことで、アルミ素材の違いがあったり、形状の違いから回転時の質量のバランスが微妙に違う、あるいはそもそも重さが僅かでも違えば、それは即ハンドリングや乗り味に影響する可能性があるというのです。

車のバネ下重量(サスペンションに取り付けられるタイヤやブレーキ装置などの重さ)は、一説によれば車体側の重量の15倍に匹敵するといわれており、これはピアノのハンマーの重量が、鍵盤側では5倍に増幅されるのと似ています。やはりすべての複雑で精密な機構というものは、わずかの違いや変化が、思いもよらぬ結果となって現れることは「ある」ようです。

ディアパソンに話を戻すと、タッチの問題なども考慮していることもあって、現在はどちらかというとこじんまりとした穏やかなピアノになっていますが、奥行き210cmのピアノという点からいうなら、もうひとつ腹に響くものが足りていないようにも感じます。
しかし、ディアパソンの醍醐味は、変な色付けのされていない、素材そのものの味を味わう料理のようなものだと思います。それをいうなら、果たして使われた素材がどれほどのものかという疑問もあり、いうまでもなくこのピアノは高級品ではありません。

それでも、現代のピアノが化学調味料満載の味付けによる、コンビニスイーツみたいな設計された味だとすると、ディアパソンには化学によるトリックはなく、素朴で普及品なりの本物であることは間違いなく、だからこそ気持ちがホッとさせられるピアノなのだろうと思います。