もうひとつの戦い

NHKのBS1で『もうひとつのショパンコンクール〜ピアノ調律師たちの闘い〜』が放送されました。

これまでコンクールのドキュメントというと、演奏者側にフォーカスするのが常道で、コンクールにかける意気込みやバックステージの様子など、悲喜こもごもの人生模様を密着取材するものと相場が決まっていました。

ところが、今回は公式ピアノとして楽器を提供するピアノメーカーおよび調律師に密着するという、視点を変えたドキュメントである点が最大の特徴で、途中10分間のニュースを挟んで、実質100分に及ぶ大きなドキュメンタリーでしたから、その規模と内容からみて、これまでには(ほとんど)なかったものではなかったかと思います。

テレビ番組の情報などに疎いマロニエ君は、だいたいいつも、後から気が付くなり人から聞くなりしてガッカリなのですが、今回はたまたま当日の新聞で気がついたおかげで、あやうく見逃さずに済みました。
こんな珍しい番組を見せないのもあんまり可哀想なので、今回ぐらい教えてやるかというピアノの神様のお計らいだったのかもしれません。

前半は主にファツィオリとカワイ、後半はヤマハが中心になっていて、スタインウェイは必要に応じて最小限出てくるだけでしたが、とくにスタインウェイ以外の調律師が全員日本人というのも注目すべき点だろうと思います。

ヤマハとカワイは日本のピアノだから日本人調律師が当たり前のようにも思いますが、だったらファツィオリはイタリア人調律師のはずであるし、もし本当に必要ならヤマハもカワイも外国人技術者を雇うのかもしれません。それだけ、日本人の調律師がいかに優秀であるかをこの現実が如実に物語っているとマロニエ君は解釈しています。

さて、近年あちこちのコンクールでも健闘している由のファツィオリは、今回のショパンコンクールでは戦略の誤り(と言いたくはないけれど)から弾く人はたったの一人だけ、しかも一次で敗退するという結果でしたが、現在のファツィオリを支える越智さんの奮闘ぶりが窺えるものでした。

ショパンにふさわしい温かな深みのある音作りをしたことが裏目に出てしまい、ほかの三社がパンパン音の出るブリリアント系の音と軽いタッチであったことから、ピアノ選びでは皆がそっちに流れてしまいます。そこで、急遽派手めの音を出すアクションに差し替えることで、限られた時間内にピアノの性格を修正しますが、時すでに遅しといった状況でした。
しかし、よく頑張られたと思いました。

カワイは小宮山さんというベテランの技術者が取り仕切っておられ、ピアノの調整管理以外にも演奏者へのメンタル面のケアまで、幅広いお世話をひたすら献身的にされていたのが印象的でした。フィルハーモニーホール内には通称「カワイ食堂」といわれるお茶やおやつのある小部屋まで準備されており、そこはコンクールの喧騒から逃げ込むことのできる、安らぎの空間なんだとか。

しかし一次、二次、三次、本選と進む中、最後の本選でカワイを弾く人はいなくなり、そこからはヤマハとスタインウェイ2社の戦いとなります。

ファツィオリの越智さん、カワイの小宮山さん いずれも技術者であり楽器を中心とするこじんまりとした陣営で奮闘しておられたのに対し、ヤマハはまるで印象が異なりました。
ヤマハは人員の数からして遥かに多く、見るからに勝つことにこだわる企業戦士といった雰囲気が漂います。
まさにショパンコンクールでヤマハのピアノを勝たせるための精鋭軍団という感じで、周到綿密な準備と、水も漏らさぬ体制で挑んでいるのでしょう。

各メーカーいずれも真剣勝負であることはもちろんですが、その中でもヤマハの人達の独特な戦士ぶりは際立っており、ときにテレビ画面からでさえ言い知れぬ圧力を感じるほどで、こういう一種独特なエネルギーが今日の世界に冠たるヤマハを作り上げたのかとも思います。

ファツィオリも、カワイも、各々コンテスタントのための練習用の場所とピアノなどを準備はしていましたが、ヤマハはまず参加者(78人)が宿泊するホテルの全室に、80台の電子ピアノを貸出しするなど、ひゃあ!という感じでした。
また、いついかなるときも、ヤマハのスタッフは統制的に動いており、カメラに向かって言葉を選びながらコメントする人から、何かというと必死にメモばかり取っている人など、組織力がずば抜けていることもよくわかりました。

ステージ上でも、何人ものスーツ姿の男性達がわっとピアノを取り囲んでしきりになにかやっている光景は、一人で黙々と仕事をする調律師のあの孤独でストイックな光景ではなく、まるで最先端のハイテクマシンのメンテナンス集団みたいでした。

はじめは本戦出場の10人中3人がスタインウェイ、7人がヤマハということでしたが、直前になって2人がスタインウェイへとピアノを変えたことで5対5となり、優勝したチョ・ソンジンが弾いたのはスタインウェイでした。

大相撲で「気がつけば白鵬の優勝…」というフレーズが解説によく出てきますが、気がつけばスタインウェイで今年のショパンコンクールは終わったというところでしょうか。

それにしても、コンテスタントはもちろん、ピアノメーカーも途方もないエネルギーをつぎ込んでコンクールに挑んでいるわけで、それを見るだけであれこれ言っていられる野次馬は、なんと気楽なものかと我ながら思いつつ、番組終了時には深いため息が出るばかりでした。
いずれにしても、とても面白い番組でした。