ぎっくり

前回は年頭の挨拶であるし、あえて書かなかったのですが、実はその裏でとんでもないことが起こってました。

大晦日の午後3時ごろのこと、石油ファンヒーターの灯油缶を持ち上げようとしたところ、とつぜん腰に強い電気のようなものがドキュンと走りました。
手と上半身をのばした横着な姿勢であったことから、筋か神経だかの大事なところを大いにひねってしまったことが瞬間的にわかりましたが、それは一瞬で、とくに大したことでもないようなので、このときはさほど深刻にも考えていませんでした。

ところが、それから1時間も経った頃、座っていた椅子から立ち上がろうとすると、腰回りに刺されるような傷みが走り、さっきの衝撃がまだくすぶっていることがわかりました。

それからというもの、時間経過とともに症状は悪化していきますが、この日は夕方からちょっとした買い物と年越しそばを外で食べるということになっていたので、用心しながら着替えをしますが、このときすでに靴下を履き替えるのがかなり辛いことは自分でも驚きで、不安を抱えながらの出発となりました。

クルマに乗るのもヨイショという感じとなり、さらに深刻だったのはバックでガレージから出るのに、後ろを見ようと上半身を捻ると、ここでも強い痛みを伴い、いよいよこれはマズイことになった認識しはじめることに。

お店は猛烈な人出で、駐車スペースを確保するのも容易ではない状況。少し待つと運良く一台の車が出て行ったのでそこに速やかに止めようとしましたが、やはりバックする際にガッと振り向けないため、いつものような迅速な動作ができません。一定角度以上には上半身が曲げられないのを、これ以上悪化しないよう何度も切り返しをして、ずいぶん下手くそな要領の悪い止め方で車を置きました。

止め終わってホッとするのもつかの間、さらに驚いたことには車から降りようにも、その動作に入ると腰に激痛がきて降りられないのです。
一度激痛が走ると、その波が収まるまでにしばらくの時を要するので、何度か繰り返しながらやっと下車…したものの、これでは先が思いやられます。

この日だけはなんとか頑張らなくてはと気を引き締め、蕎麦屋に行くも、そこでもやはりバックが思うようにできない、さらに降りるときの苦痛はさっきより一層ひどく、困難さが増しているのがわかりました。
食べている間も軍人のようにまったく姿勢が崩せず、少しでも背骨を曲げたような姿勢になるとズキンと傷みが走ります。

正直言って、何を食べているかもわからないほど必死で食べて帰ってきましたが、自宅のガレージにたどり着いたときには、もう何度やっても激痛で車から降りることもできません。半ば気が遠のくような痛みを伴いながら決死の思いで車から這いずり出て、家に入り、この日はとにかく安静にして、ちょうどもっていたロキソニンを服用して、いつもより早めに休みました。

横になっているとそうでもないので睡眠はそれなりにとれますが、ちょっと寝返りをうつこともできずそのつど痛みで目が覚めます。ずいぶん窮屈な思いをしながら目が覚めたりまた寝たりを繰り返しながら元日の朝を迎えました。
とりあえずベッドから出ようとすると、これがまたとてつもない激痛で、とにかくどういう角度であれ起き上がろうとすると、息もできないほどの痛みが次から次へと襲いかかってきて、ようするにベッドから出られなくました。

30分近くかけて、脂汗にまみれながらようやく這い出したものの、着替えも満足にできず、正月早々とんでもないスタートを切る羽目になりました。
午後はパソコンの前に座るのもびくびくして、新年早々、痛みと疲れと落胆でもう何もする気も起きません。それでも元日のブログは前日に少し書いていたので、なんとかそれを完成させてアップしたのでした。

これが「ギックリ腰」というものかどうか…正確なことはわかりませんが、たぶんそうなんでしょう。
これまで腰痛の苦心談はあこれこれと耳にしてはいたけれど、たまたま自分が経験したことがなったこともあって、もうひとつ実感が湧きませんでしたが、いやぁ…これほどまでに凄まじいものとは知りませんでした。
まるで腰回りをナイフで刺されるか電流でも流されるようで、その痛みは恐怖以外のなにものでもありません。

日常生活の何気ない動作の中で、いかに腰が体の芯となって重要であるかをこれほど思い知らされたことはなく、健康のありがた味をしみじみ痛感しているところ。年明けからついていない…ではやってられないので、新年早々からよい勉強をさせてもらったとでも思うことにするしかありません。

意外だったのは、安静のためにポロポロとピアノを弾いてみると、ピアノは必然的に良い姿勢となるし、弾けばやっぱり楽しいし、おかげでずいぶん慰められました。