4日目

せっかくの新年を、人生初めてのぎっくり腰で迎えるというのは当人にしてみれば笑うに笑えぬ「事故」でした。
しかも、これが実際なかなか快方には向かわず、多くの場合、二三日で落ち着いてくるという話であったのに、想像より症状は軽くはないようでした。

実は3日は、ピアノ好きの数人が集まることになり、今回はマロニエ君宅のディアパソンの調整が一区切りついたこともあって、我が家へお出でいただく段取りになっていたのですが、直前まで様子を見ていたもののいまだ厳しい状況であるため、やむを得ず今回は延期とせざるをえなくなりました。

もともと、充分なもてなしができるわけではないけれど、なにかというと襲いかかる激痛を抱えながらというのでは、ちょっとお茶や菓子を出すことさえ難しいし、いかに遊びや雑談とはいえ身が入りません。
昨年末から約束をしていた皆さんには文字通りのドタキャンとなり、大変なご迷惑をお掛けする次第となりました。

のみならず、お正月のすべてが犠牲となり、外出もなにもできず、することもなく時間だけはあるので、おそるおそるパソコンの前に座っては、このようなつまらぬ文章を綴っているしだいです。
新年早々、温かいお見舞いのメールも頂戴するなどありがたいような情けないような…。

昨晩はお父上が整形外科のお医者さんという友人に電話して、カクカクシカジカで、さしあたりどういう点に注意すべきか聞いてもらったところ、基本安静にする、腰を温める、コルセットが望ましいが無ければバスタオルでもいいから強く巻いて腰を固定する、長時間同じ姿勢をとらないなどのアドバイスを受けました。

少しでもだらけた姿勢で椅子に座っていると、必ず恐ろしいほどの激痛に見舞われるので、これにはさすがに懲りて、嫌でもキチンと背筋を伸ばした姿勢を保って座るしかなく、気の休まる時もありません。ところがこれを3日もやっていると、あれ?…その姿勢で座ることにもだんだん慣れてきて、それ自体はさほど苦痛ではなくなってきました。
まさに昔の軍隊式ではないけれど体罰の恐怖で遮二無二鍛えられる感じです。

ということは、何事もこれぐらい本気で間断なくやっていればそのうち身につくもんだということが少しわかったような気がして、結局ピアノも同じだろうか…とも思います。
音大を受験するとか、コンクールに出る、あるいは演奏会を控えて猛練習などとなれば、それはもう気構えからして違うでしょうから、これを当たり前のようにやっていれば、たしかに劇的に鍛えられるだろうなぁと思います。


ピアノといえば、お正月番組で録画していた辻井伸行氏の2時間番組を暇つぶしに視てみました。
彼はまぎれもなく天才ですが、いわゆるクラシックのピアニストの常道というより、チケットの売れる人気ミュージシャンの方へと軸足を移してしまったのでは?という印象をあらためてもちました。

べつに、それの良し悪しを言っているわけではないのですが、一面においてそのスタミナなど大したものだと思う反面、一面においてはどこか残念な気もするのです。コンサートの様子では主に自作の曲をオーケストラと一緒に演奏するというもので、新作の童謡かなにかのようで、澄みわたるきれいな曲だとは思うけれど、マロニエ君の求める方向とはまったく違うものです。

後半はガーシュインのラプソディー・イン・ブルーで、危なげのない確かな演奏ではあったものの、この曲に必要な変幻自在な表現には至っていないというのが率直な印象でした。こういう曲は自分なりに美しく弾くというだけではサマにならない猥雑な要素を含んでいて、清濁併せ持つ人間臭さやエグさで聴かせるところがあり、辻井さんの清純さだけでは処理できない世界のように思いました。

一方、アメリカ・ボストンでは現地のアマチュアオケとベートーヴェンの皇帝を弾いていましたが、これはまた意外なほど軽い感じが目立ってしまい、ただ表面に水を流すようにサラサラ弾いて、作品の核心にはまだ触れていないような印象でした。ベートーヴェンにはやはり一定の構造感とか重厚さ、あれこれの対比などが欲しい気がします。

むろん感心させられる点も多々あって、いついかなるときでも音楽に対するノリの良さは抜群で、常に全神経が音楽世界の中で喜々として躍動し呼吸していることは音楽家として非常に重要な点で、だからこそ彼のピアノには生きた演奏のオーラがあるのだと思います。見るたびに思うのは、大きくて肉厚の、とても恵まれたきれいな手をしていて、まさにピアニストとして理想的であること。
これだけみても彼がピアノを弾くためにこの世に生を受けたのだということが感じられます。