チョ・ソンジン

昨年のショパンコンクール終了からひと月足らずと思われる11月20日のN響定期公演に、優勝ホヤホヤのチョ・ソンジンが出演して、ワルシャワで弾いてきたばかりのショパンのピアノ協奏曲第1番をさっそく東京でも披露していたようです。

Eテレのクラシック音楽館の録画で、その模様を視聴することができました。
指揮はウラディーミル・フェドセーエフ。

マロニエ君の個人的な印象では、とても良心的なピアニストだろうとは思うけれど、さて、この世界最高のピアノコンクールの優勝者にふさわしい「なにか」を感じとることができたか?というと、残念ながらそれはできなかったというほかはありません。

技術的にも音楽的にも、突出したものはないし、あれぐらい弾ける人は今どき珍しくはないと思ってしまいます。
ではそれ以外の個性であるとか、芸術的センスのようなもので勝負するタイプかというと、これも特段そうとも思えません。番組冒頭に、この人の経歴が字幕で出ましたが、チャイコフスキーやルービンシュタインで3位とあり、まさにそのあたりが妥当なところだろうというのが率直なところでした。

では、なぜショパンコンクールの優勝者となったのか、それはマロニエ君などにわかるはずもありませんが、コンクールというものは、スポーツと同じでその時その場の演奏で決着する勝負であって、時の運という面も大きいので、本人の出来不出来のほか、ライバルの顔ぶれによっても結果は大きく左右されるのでしょう。

過去に二回続けて優勝者不在という事態が起こっていらい、必ず優勝者を出すことがコンクールの固い方針となったというのも聞いた覚えがあり、昔のように大物ピアニストになりうる逸材を発掘し、ここから世界に送り出す場ではなくなったのだということをいまさらのように感じました。

チョ・ソンジンは潜在力としても軽量のピアニストだと思うし、とくにショパンの解釈や表現に関しても他の追随を許さぬものがあるわけでもなく、あくまで中庸を行く人でしょう。この人でなくてはならないという積極的理由が──マロニエ君の耳がないからかもしれませんが──ついに見つけられませんでした。

第二楽章がきれいだったと思いますが、なんとはなしにゆっくりした曲調がちょうど彼の波長に合っているようで、とくに決定的な要素とか、わくわくさせられるようなものとも違います。

むしろ細かい表現とかアーティキュレーションは、どこか学生っぽいというか、煮詰まっていない面を感じますが、ともかくこれみよがしではない正直な人柄みたいなものが漂うところ、見た感じのいかにも真面目で良い子のイメージそのままに、演奏にも決定的に嫌われるような要素というか、悪印象がないところがこの人の特徴だろうと思うしかありません。

好みを別とすれば、前回のアヴデーエワのほうがそれはもう断然大器で、彼女の場合は、まあいちおうは優勝したことが納得できる気がします。

時代は刻々と移ろい、いまショパンコンクールの優勝者に何が求められるのか、マロニエ君にはわかりませんが、演奏家というか芸術家に必要とされてきた個性や輝き、ときにエグさのようなものよりも、クリアで嫌味のない、平和な鳩みたいな演奏が好まれるのかもしれないと思うと、なんだかつまらない気がします。

ショパンコンクールの直後であるだけに、そりゃあやっぱりショパンをアンコールで弾くのだろうと思っていたら、案の定、拍手の中ピアノの前に座りました。ところが、弾きはじめたのはなんと24のプレリュードから最も地味で最もアンコールに期待されないだろう第4番であるのには、正直云っておどろきでした。
あとから、もしやホ短調ということで、協奏曲と調性を合わせたのだろうかとも思いましたが、ちょっとセンスがあるとは思えませんでした。

また、よくないことばかり言うようで恐縮ですが、ピアノがとってもヘンだと思いました。
おそらくNHKホールのスタインウェイだろうと思いますが、中音から次高音にかけて、アタック音ばかり目立つ伸びのない音で、実際の会場で聞いたわけではないけれども、まさかあれがショパンを意識した音作りというのなら、こっちが耳を洗って出直さなくちゃいけないでしょう。

ピアノもピアニストも、いろんな表現や在り方があふれるのは結構なことですが、それでも、いいものはいいのであって、価値観や好みを超越して輝くという一点だけは信じ続けたいと思うところです。