チェロのソル・ガベッタとピアノのベルトラン・シャマユによる、ショパンのチェロ作品を集めたCDを聴いてみました。
ガベッタはフランス系ロシア人を両親に持つ人気の女性チェリスト、かたやシャマユはフランスの若手でこのところ少しずつ頭角をあらわしているピアニストという、なんとはなしにバランスの良さそうな組み合わせ。
曲目はオールショパンで、チェロソナタ、序奏と華麗なるポロネーズ、さらにはショパンと親交のあったフランショームとの合作とされる『悪魔ロベール』の主題によるコンチェルタント・グラン・デュオ、さらにはエチュードやノクターンをチェロとピアノ用に編曲したものが収められています。
音が鳴り出して最初に感じることは、ガベッタのチェロの広々とした自在な歌い方と、趣味の良いデリケートなフィギュレーション、それにつけていくシャマユのピアノの美しさです。
マロニエ君は録音のことはわかりませんが、このCDは、聴いていてまことに気持ちの良い、透明感のある美しい録音である点も心地よさが倍加します。鮮明さと残響がバランスよく両立しており、それぞれの楽器の音が至近距離でクリアに、かつニュアンスを失わずに聴こえ、まるで目の前で演奏しているかのようでした。
自宅にいながらにして、こんなに美しい音と音楽に包まれることができるありがたさに浸りながら、だから不明瞭で混濁した音を聴くばかりのコンサートなど、できるだけ行きたくないという思いがますます募ります。
ガベッタとシャマユは、こまやかな神経の行き届いた演奏でありながら、聴き手に緊張を強いるでもなく、むしろ心を和ませ、かつ細部の見通しもよいという、演奏スタイルのメリハリのつけ方としては好ましい在り方だと思います。
焦らぬテンポの中で曲の隅々にまであたたかな光が射し込むようで、決して冗長にもならず、ショパンのチェロ音楽をじっくり味わえる好感度の高い演奏だと思いました。
やはり、ショパンはフランス系の演奏家の手にかかると、いかにも作品の本質に自然にコミットしているようで、ストレスなく聴いていられる点が安心できるというか、心地よく感じられます。
中でもチェロ・ソナタがこのディスクの主役であり、演奏も最も秀逸だったと思われました。それに対して序奏と華麗なるポロネーズなどは、やや守りの演奏のような気もしました。
ピアノ作品の編曲はフランショームの手になるもので、これはこれで面白いとは思うけれど、オリジナルのピアノソロには到底およばないという印象で、まあそれは当たり前ですが。
録音は昨年の11月にベルリンのジーメンス・ヴィラで行われており、写真によればピアノは新しめのスタインウェイのようでした。それも納得で、ここで聞くピアノの音は、ともかく高いクオリティで製造され、さらに見事に調整された現代のピアノという感じで、以前のような強烈なスタインウェイらしさといったものはほとんど感じません。
いかにも今日の基準をまんべんなく満たしたニュートラルなピアノという感じでしょうか。
どこにもイヤなところがないけれど、音の魔力に惹き込まれるような、とくべつな楽器という感じもなく、新しいスタインウェイで一流の技術者が調整すれば概ねこんな感じだろうと思われるものです。
どちらかというとやや無機質で、ハイテクも必要箇所に採り入れた精度の勝利といった感じです。
素材も、むろん悪いものを使っているわけではないと思いますが、むかしほど恵まれない天然素材とコストという制約の中で、量産を前提にした最上級クラスという感じで、かつての特級品がもつ凄味とか、稀少で贅沢なものから湧き出るオーラみたいなものはありません。
現代ではまあこんな感じのところで良しとしなくてはならないのだろうと思いますが、今回、上記のような優れた録音によって感じられたところでは、低音の性質が変わったように思えました。
従来のスタインウェイの特徴のひとつが、低音域の独特の音色と美しさだったと思います。
誇張していうと、その低音には一音一音に個性があり、必ずしも均一ではないけれどずっしりと芳醇で、まるで刃物のようなしなやかさと美しさが共存していて、そこがこのピアノの最も官能的なところであったかもしれません。
その低音の特徴がやや失われ、ただ大きなピアノ特有のブワーッと鳴っているだけのものになっているのは、やはり一抹の寂しさを感じてしまいます。
現在ではドイツのスタインウェイも(いつごろからかは知らないけれど)アラスカ産のスプルースを使うようになったようで、どうも他社のアラスカ産スプルースを使うコンサートピアノと、低音の性質が少し似ているような気がするのですが…気のせいでしょうか。