弾きやすさの質

つい先日のこと、所用で隣県まで出かけた折、予定が早く済んでしまいぽかんと時間ができたものだから、悩みました(だって行っても見せてもらうだけですから)が、当地のスタインウェイ代理店にお邪魔させてもらいました。

マロニエ君は普段から、購入予定もないのにお店を訪ね歩いてピアノの試弾をしたり、同様にひやかしで車の試乗をしたりするのはあまり好きではないので、極力それはしないよう控えているつもりです。
…が、このときはつい禁を破って行ってしまったというわけです。

人によっては、やたらとこれを繰り返し、弾いたり乗ったり延々しゃべったりして、それを一方的に楽しんでいる人もいるのですが、お店側にしてみればいい迷惑で、遊び場にされては困るというもの。
というわけで、マロニエ君は車の試乗などをするのもせいぜい年に1度あるかないかです。

と、基本的にはそういう考えなのですが、このときはちょうど時間にも空白ができて、試しにナビで位置確認をしたところ、わずか2キロほどのところでもあり、誘惑に負けてついルート案内を押してしまいました。

むろん他のお客さんなどがいらっしゃれば早々に退散するつもりでしたが、幸いにもそのような状況でもなく、来意を伝えるとお店側はたいそう快く迎えてくださいました。

まず通されたのは、2階にある展示室で、そこには内外のセレクトされた美しいアップライトピアノが壁際に並べられ、中央には新品のスタインウェイのBとO、ボストンの小型のグランドが置かれています。
「さあ、どうぞ」といわれて「それでは」とばかりに弾き始めるほどにマロニエ君は度胸も腕もありませんから、軽くスケールを弾いてみる程度にしていましたが、有り難いことにお店の人はこちらが心置きなく指弾できるようにとの計らいからか、早々に姿を消してくださいました。
おかげで、ほんのちょっと(5分ぐらい)BとOの2台を弾いてみたのですが、この2台の「あっとおどろく弾きやすさ」ときたら衝撃的で、これがスタインウェイのタッチかと頭の中の尺度を書き換えなくてはいけないほど好ましいものでした。
まさに目からウロコです。

このときは技術者でもある由のご主人は不在でしたが、店におられた奥さんがとてもピアノに詳しい方で、さっそくこのピアノの思いがけないタッチの素晴らしさを興奮気味に告げたのはいうまでもありません。
マロニエ君があまりにショックを受けているからなのか、少し笑っておられるようでしたが、本当にそれぐらいこれまでのスタインウェイとは違う、軽く、素直で、何の違和感もない、思いのままの理想的なタッチでした。

しかも印象的だったのは、その2台はなにも特別な仕様ではなく、あくまでも現在のスタインウェイの「スタンダードな状態です」ということ。

これは、とりもなおさずこの店の技術力が優れていることもあるでしょうし、そもそも生産段階におけるパーツの正確さ、組み付け精度の面などがずいぶんと進歩してきているのだろうと思いました。
近頃のスタインウェイの、音としては平坦ではあるけれど、いかにもシームレスというか均等な鳴りを聴いても、こういうタッチであることは合点がいくところでもあります。

お店には別室にもう1台10年ほどまえのO型があるということで見せていただきましたが、こちらも実によく調整された素晴らしいピアノでありましたが、新品の2台に較べると、軽く正確で、一瞬の隙もなく反応する「驚異的な弾きやすさ」ではやや及ばないところも感じますので、やはり最新のスタインウェイは、機械的精度という点でかなりヤマハに肉薄してきているのかもしれないと思いました。

いくら音が良くても、タッチが思わしくなく、もたついたりコントロールしづらいなどの問題があると弾く楽しみも半減ですが、その点では、現在のスタインウェイはかつてのような重厚な味わいはなくなったかわりに、ストレスフリーな弾き心地を弾き手に提供しているのかもしれません。
弾くものにとっては、最上の快適感の中で弾けるということは、これはこれで大いなる魅力だと感じ入った次第でした。

躊躇しながら訪ねたものの、大いなる収穫を得て、感嘆しつつ帰途につきました。