録画から

早いもので今年ももう3月ですね。

このところTV録画で見たコンサート等の様子から。

アリス=彩良・オットとフランチェスコ・トリスターノのデュオリサイタル。
ドイツの何処かのホールで収録されたライブでしたが、出てくる音声が今どきおそろしくデッドだったのはかなり驚きました。

まるでただ部屋に2台のピアノを置いて弾いているような音で、優れた音響に馴らされた耳には、あまりに窮屈で最後までこの音に慣れることはできませんでした。
また、二人ともとても偏差値の高いピアニストなのだろうとは思うけれど、残念なことに味わいとかニュアンスというものがなく、ただ楽譜のとおりに正確に指が動いていますね…という印象。

最近のクラシックの演奏会は、慢性不況でもあり、ただ良質な音楽的な演奏をしているだけでは成り立たないという実情はもちろんあるとは思いますが、それにしても演奏家がやたら「見せる」という面を意識しているらしいことが目に付くのは個人的にはどうも馴染めません。
ドレス、髪型、指にはたくさんの指輪をはめて、弾くときの表情もピアニストというよりは、どちらかというと女優のよう。

ピアノはスタインウェイDとヤマハCFXという組み合わせでしたが、上記のような詰まったような音があるばかりで、こちらも真剣に聴く気になれずとくに感想はもてませんでした。ただ、ステージ真上からのカメラアングルがあり、2台とも大屋根を外した状態なので、構造がよく見えました。
驚いたことには、ぱっと目にはまるで同じピアノのように見えることでした。

全体のサイズはもちろん、とくにフレームの骨格や丸い穴の数や位置などほとんど同じで、この2台が別のメーカーの製品ということじたいが信じられないくらいでした。以前はヤマハのフレームは独自の形状でしたが、CFXからはそれが変更され、ますますスタインウェイ風になっているようです。

じつはスタインウェイDとヤマハCFXという組み合わせが、偶然もうひとつあり、小曽根真がアラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルハーモニックと昨年大晦日に演奏した『動物の謝肉祭』が、やはりこの2社の組み合わせでした。

もちろんCFXを弾いたのは小曽根真であることはいうまでもありません。
このときはなんとか言うアメリカ人男性がナレーションを務め、開始前と曲と曲の間に、いかにもアメリカ的テイストの芝居がかったトークが挟まれ、その鬱陶しさときたらかなり強烈なものでした。
メインは音楽なのかトークのほうか、まるでわからなくなるほど長いし押し付けがましくて、ウケと笑いと拍手を要求してくるのはウンザリで、録画なので早送りで飛ばすしかありませんでした。

ところで、小曽根真の演奏はどこがそんなにいいのか…マロニエ君は正直さっぱりで、これは皮肉ではなく、わかる方がおられれば教えてほしいぐらいです。
個人的な印象としては、本業のジャズでもあまりキレがないように感じるし、クラシックではやはりあんまり上手くないという印象が拭えません。
何年か前にモーツァルトのジュノームを弾いたときは、たしかにあれはあれで一回は新鮮でへぇぇと感じたことは覚えているけれど、こうもつぎつぎにクラシックのステージに登場するとなると、申し訳ないけれどふつうの評価にもさらされてくるのは避けられない気がするところ。

とりわけ不思議なのは、ノリやリズム感が身上のジャズメンであるはずなのに、その肝心のリズム感がなく、メリハリに欠け、むしろあちらこちらでモタついてしまう場面が散見されるのは不思議で仕方ありません。
ジャズでもクラシックでも、この人の演奏にはある種の「鈍さ」を感じてしまうのはマロニエ君だけでしょうか。

そうれともうひとつ。
題名のない音楽界では辻井伸行がベートーヴェンの皇帝を弾いていましたが、なんだかんだといっても彼はまぎれもなく天才で、人前で演奏するだけの値打ちがあり、シャンプーのコマーシャルみたいな言い方ですが、「リッチで自然でツヤのある」ピアノを弾く人だと思いました。

彼のピアノには努力だけでは決して身につかないスター性と独自性があり、あの輝きはやっぱり並み居るピアニストの中でも頭一つ出た存在だと思いました。