言葉の低下

いかに当節の流行りとはいえ、どうしても馴染めない言葉ってありますね。

言葉は常に時代を反映するもので、どんなに間違っていても、マス単位で一定期間使い続けられれば、それがいつしか根を張って標準になってしまう怖さがあって、だからよけいに言葉は大事にしたいと思います。

「マジで」「チャリンコ」「ハンパない」などは、いちいち気にすると無益なストレスになるので流していこうと頭では思うけれど、やっぱり耳にするたびに抵抗がサッと体を通り抜けていくような感触を覚えます。

一部の人達が、限られた範囲内だけで、遊び感覚で言葉を崩して使うのならともかく、たとえば小さな子がはじめに覚える言葉として、こんな妙ちくりんな言葉が無定見に入り込んでいるのはいかがなものかと思います。いっぽう、近頃は男というだけで時と場所を選ばず、一人称を「オレ」と言いまくるのも気になります。

マロニエ君の個人的な感覚で言うなら「オレ」は、よほどくだけた間柄での言い方であって、本来は男友達や朋輩の間で使う言葉であって、使う範囲の狭い一人称だったはずですが、これがもう今では、若い人とほど誰も彼もが無抵抗に使いたい放題で、芸能界や若年層に至っては「ぼく」などと言う方が浮いてしまうほどの猛烈な勢力であるのは呆れるばかりです。

固有名詞は避けますが、いつだったかオリンピックから帰国した選手たちが皇族方と面談した際、さる金メダリストが皇太子殿下に対して自分のことを「オレ」と言ったものだから、あわてて宮内庁の誰かから注意されたという話があるほど、事態は甚だしくなっています。

日本語の素晴らしさのひとつは、尊敬語と謙譲語、あるいはその間に幾重にも分かれた段階にさまざまな言葉の階層があるところであって、それを「いかに適切に自然に使い分けられるか」にかかっていると思います。
ところがそういう言葉の文化は廃れ、現在はやたらめったら丁寧な言葉を使えば良いという間違った風潮が主流で、「犯人の奥様」的な言い回しが横行し、アホか!といいたくなるところ。

最近とくにイヤなのは、「じいじ」と「ばあば」で、あれは何なのでしょう!?
テレビドラマなどでもこの言い方が普通になっていたり、盆暮れの駅や空港での光景に、孫は祖父母のことをこう呼んでしまうのは、思わず背筋が寒くなります。

これを無抵抗に使っている人達にしてみれば「なにが悪い?」というところでしょうが、聞いて単純にイヤな感じを覚えるし、祖父母に対する尊敬の念も感じられず、理屈抜きに不愉快な印象しかありません。
個人的には「じいちゃん」「ばあちゃん」という言い方も好きではないけれど、さらに「じいじばあば」は今風のテイストが加わってさらに不快です。

単純におじいちゃんおばあちゃんぐらいでは、どうしていけないのかと思います。

こんなことを書いているうちに、ふと脈絡もないことを思い出しましたが、最近はお店で物を買って支払いをする際、店員は男女にかかわらず、意味不明な態度を取るのが目につきます。

どういうことかというと、商品をレジに持っていくと、紙に包むなり袋に入れるなりして、代金を受け取るという一連のやりとりの間じゅう、店員は目の前のお客ではなく、一見無関係な方角へと視線を絶え間なく走らせます。

それも近距離ではなく、どちらかというとちょっと距離を置いたあちこちをチェックしているようなそぶり。
まるで自分の科せられた職務は、実はいま目の前でやっていることではなく、もっと大きな責任のあることで、レジ接客はそのついでといわんばかりの気配を漂わせるという、微々たる事ではあるけれど、あきらかに礼を失する態度。

いちおう頭は下げるし、口では「いらっしゃいませぇ」とか「ありがとうございまぁす」のようなことは言うけれど、実体としてはお客さんをどこかないがしろにする自意識の遊びが働いているような、そんな微妙な態度をとる店員は少くありません。
これにはどうやら何らかの心理が潜んでいそうですが、ま、分析する値打ちもなさそうな、ゴミみたいな主張だろうと思われます。

ただ、ここで言いたいのは、こんなちょっとした言葉や態度がじわじわ広がるだけでも、世の中はずいぶんと品性を欠いた暗くてカサカサしたものになってしまっているような気がするということです。
お互いに気持ちよく過ごしたいのですが、それがなかなか難しいようです。