リシャール・アムラン

昨年のショパンコンクールで2位になった、シャルル・リシャール・アムランのデビューCDというのを買ってみました。

秋に開催される同コンクールより半年前に母国カナダで収録されたショパンで、ソナタ第3番、幻想ポロネーズ、op.62の2つのノクターン。
時間にして53分ほどで、今どきのCDは多くが70分は当たり前になってきている点からいうと、かなり少なめな印象。
むろんCDを収録時間で買っているわけではないけれど、いまどき普通ならばあと20分ほど入っていると思うと、なんだかちょっと物足りない気もするわけで、人間はつくづく欲深いものだと自分で思います。

しかし、そんなケチな不満を打ち消すかのように、演奏はたいへん見事なものでした。

とくにポーランド的とか、フランス的とか、ことさらショパンらしいニュアンスに満ちているというものではなく、かといって精度の高いピアニズム重視というわけでもないもので、生まれ持ったバランス感と、クセのないきれいな言葉を聞くような演奏でした。
しかも、よくある、ただ指がハイレベルに回るだけといった虚しさや、無機質不感症な演奏というわけでもなく、一定の演奏実感もちゃんと伴っていて、ようするに好ましい演奏だったと思います。

情感で押すタイプではないけれど、人間的な何か豊かなものが常にこの人の演奏を支えているようで、節度の中で確かな音楽の息遣いが息づいているのは立派なものだと思いますし、この若いピアニストの教養と人柄のようなものを感じないわけにはいきません。

第1位だったチョ・ソンジンが、多くの人から激賞されている中、どちらかというとどこか学生風な未熟さを(マロニエ君は)感じてしまうのに対し、アムランはぐっと大人の成熟した語り口だなあと思います。

その他、好ましく感じたことのひとつに、非常にしっかりした正統な演奏でありながら、決して説明的にならず、音符が音楽の自然な言葉へしなやかに変換されて、聞く者の心情へと直接語ってくる点でした。

多くのピアニストがテクニック、能力、解釈、理知的なアプローチなど、あらゆることを兼ね備えているかのような努力にもかかわらず、けっきょくはなにもない無個性で凡庸な存在に落ち込んでいるこんにち、リシャール・アムランはすでに自分の演奏スタイルが確立していて、どういうふうに弾きたいかが迷いなしに伝わるのは聴く側も無用なストレスを感じずにすみます。

いわゆる正統派タイプだと歌い込みを排除した骨がましい演奏になり、解釈優先主義の人はあえて塩分ひかえめの食事みたいな演奏になって、マロニエ君はいずれも好みではありませんが、この人は、奇を衒わず自然体、それで損をするならやむなしという潔い価値観をもっているのか、演奏が首尾一貫しているのは却って評価が高くなりますね。

さらにいうと、ちかごろの若い演奏家にありがちな過度な出世欲や、自己顕示のためのパフォーマンスが感じられず、むしろ信頼感のようなものを感じさせてくれる人でした。

ピアノの音ははじめはちっとも意識していませんでしたが、よく考えたら、この人はショパンコンクールでは一貫してヤマハを弾いた人だったことを思い出しました。
しかし、どう聴いてもヤマハのようには聴こえないので、おそらくスタインウェイなんだろうぐらいに思っていたのですが、何度か聴いているうちにソナタの冒頭など「ん?」と思う音のゆらぎのようなものが耳につき、全体的な音色にもややざらつきがあるようでもあり、もしかしてNYスタインウェイではと感じ始めることに。

昔は北米大陸ならNYスタインウェイと相場が決まっていましたが、このところはご当地ニューヨークでさえハンブルクがずいぶん勢力を伸ばしているのはなぜなのか…。
とりわけ大きなコンサートや録音ではハンブルクが多いように感じるのは、せっかくアメリカなのにつまらない気がしていたのですが、どうやらこの録音ではマロニエ君の間違いでなければ、よく調整された新しめのニューヨークのように感じました。

カナダではまだまだニューヨーク製が主流なのかもしれません。

話が逸れましたが、リシャール・アムランはとても良いピアニストだと感じ、今後もCDなど出ればぜひ買ってみようと思います。