先日の日曜夜、NHKのEテレで、今年東京で行われた「ショパン国際ピアノ・コンクール・入賞者ガラ・コンサート」が放送されましたが、感じるところがいろいろとあるコンサートというか番組でした。
当節、あまり率直に書くのもはばかられるけれど、かといって心にもないことを述べても何の意味もなく、ごく簡単に感想を書くことにします。
実際のコンサートではどうだったか知りませんが、放送されたのは入賞者の下位から上位に上がっていくというもので、
第6位 ドミトリー・シンキン(ロシア)
第5位 イーケ・トニー・ヤン(カナダ)
第4位 エリック・ルー(アメリカ)
第3位 ケイト・リュウ(アメリカ)
第2位 シャルル・リシャール・アムラン(カナダ)
第1位 チョ・ソンジン(韓国)
という順序。
シンキン:自ら作曲もするというだけあって、スケルツォ第2番を6人中ただひとり独自の感性と解釈で弾いていたのが印象的。音符に意味を見定め、それを音楽の「言葉」へと変換していたと感じられたのは彼だけ。また、ピアニストとしての逞しい骨格が感じられるところはさすがはロシアというべきか。
ヤン:ワルツの第1番を弾いていたけれど、繊細さやワルツの洒落っ気はなく、大仰なばかりの演奏。最年少というが、年令を重ねてもおそらくこのあたりの本質は変わらないであろうし、ショパンの世界とは違ったものが似合いそうな若者。
ルー:オーケストラと一緒にアンダンテ・スピアナートと華麗なる…を弾いたけれど、ただ弾いただけという感じで、演奏の腰が浮いている。ミスタッチも多いし難所になると指がやや怪しくなるのは、いかにも心もとなく、器が小さいという感じ。
リュウ:マズルカ賞を取るほど彼女の演奏(とくにマズルカ)は高く評価されたというが、マロニエ君の耳にはそれほどのものには聴こえなかった。緩急強弱を強調する手法が目立ち、作品の核心に迫っているかというと疑問を感じる。なんでもない部分…でも心のひだのようなものが隠されているところなど、チャカチャカとエチュードのように弾いたり、そうかとおもうと意味不明のねっとり感を出してみたり。やけに上ばかり見て弾く姿が音楽表現に重きをおく人のように見えるのか…。
アムラン:つい先日デビューCDを聴いて、それなりの好印象を得たと書いたばかりだったけれど、この日の演奏を聞いた限りでは早くもそれを保留にしたくなる。若いに似合わぬ、ずいぶんと貫禄のある身体を深く沈めて悠然たる構えで弾くのは期待を誘うが、実はそれほど深いものは感じられない。協奏曲第2番の第2楽章はひとつの聞き所でもあるが、メリハリのないスロー調というだけで、甘く初々しい語りなどはさして伝わらず。こういう演奏が繊細さにあふれた美しさなどと評価されるのだろうか…。また指の動きも現代の若手ピアニストとしてはごく標準の域を出ず、ショパンでは大切な装飾音の取り扱いにセンスや配慮が感じられない。
ソンジン:演奏回数を重ねるごとに表現が練れてくるのかと思いきや、あいかわらず謙虚で丁寧な雰囲気を漂わせつつ、音楽的にはフォルムが確定せず迷っている印象。嫌味もないが、ぜひもう一度聴きたいと思わせる魅力がない。コンクールでポイントを稼げるよう訓練を積んで整えられた演奏で、なんとはなしにイメージ的に重なるのはスケートの羽生選手。だから彼のファンのように、好きな人は特別なのかも。
どの人もふしぎなほど音楽がツボにはまらず、演奏が説得力をもって聞く者の心に深く染みこむような表現のできる人がほとんどいなかったように思います。かといって技巧的にものすごい腕達者という人もいない…。
ショパン・コンクールというものにはいろいろな意味での期待が大きすぎるのかもしれませんが、少なくともこの6人の中に、これからのピアノ界を背負って立つほどの強力な逸材がいるかというと…残念ながらそんなふうには思えませんでした。
オーケストラもワルシャワ国立フィルなんていうけれど、あれはちょっとひどいというか、日本の地方のオケの方がよほど上手いでしょう。
5年前にも感じたことですが、入賞者の来日公演での演奏は、コンクール本番での演奏を少しでも耳にしていると、気合の入り方が明らかに違うところにがっかりさせられます。どのピアニストもしぼんだ感じの、いわば予定消化型の演奏をするのは、入賞結果を元手にさっそく経済活動に励んでいるように感じてしまいます。
名も知れぬピアニストでいいから、心地よく乗っていけるショパンを聴きたくなりました。