採りだめしていた番組(クラシック倶楽部)の中から、ユッセン兄弟のピアノリサイタルを見てみました。
アルトゥール・ユッセンとルーカス・ユッセンは、オランダ出身の双子のような金髪の兄弟で、曲目はベートーヴェンの4手のためのソナタop.6、ショパンのop.9のノクターン3曲、幻想ポロネーズ、ラヴェルの2台ピアノのためのラ・ヴァルス。
それにしてもこの二人、すみだトリフォニーホールでリサイタルをするとは、よほど人気があるのか…。
冒頭のベートーヴェンの連弾ソナタは作品そのものに個人的に馴染みがなく、ともかく初期の作品で二人揃って活気をもって弾いたという感じでしたが、ショパンからは雰囲気が一変しました。
op.9の3つのノクターンを、1を兄が、2を弟が、3を兄がそれぞれソロで弾くというもので、その間、側に置かれた椅子で待機して、曲が終わると静かにピアノに近づいて、スルスルっと入れ替って弟が2曲めを弾き出し、それが終わったらまた兄が近づいてきてするりと入れ替わって3曲目を引くというもので、こういう光景は初めて目にしました。
日本人の兄弟デュオにも左右の入れ替わりなどあるようですが、あちらはお客さんにその動きを見せて楽しませるためのアクロバティックなパフォーマンスのようですが、ユッセン兄弟のそれは最低限の動きで済ませるおだやかな交代で、自然に受け入れることができたし、これはこれでおもしろいとさえ思いました。
本当に仲の良い兄弟という感じで、弾き方も似ていて、おそらく耳だけで聴いたらどっちが弾いているかわからないだろうと思いました。強いていうなら兄のほうがすこし多弁で、弟のほうが内的といえるかもしれません。
そもそも、大ホールで行なわれるリサイタルで、ショパンのはじめの3つのノクターンが順番に演奏されるというのはなかなかないことですが、これが選曲としてもとても良く、知り尽くした曲のはずなのに不思議な新鮮さを覚えました。
演奏もなかなかのものでセンスがあるし、ショパン作品の演奏としてはバランスの良い美しい演奏だったことは非常に好感が持てました。
マロニエ君は昔から思っていることですが、どんなに大ホールのコンサートでも、ショパンで本当にしみじみと心の綾にふれるような深い感銘を与えるのは、もちろん演奏が良くての話ではありますが、繊細巧緻かつ詩的に奏でられるノクターンである場合が多いのです。
むかしダン・タイ・ソンのリサイタルに行ったとき、アンコールになって彼はその日初めてノクターンを弾きましたが、演奏がはじまるや、会場は水を打ったように静まり返り、一音一音がホールの広い空間にしたたり落ちる言葉以上の言葉のように美しく鳴り響きました。
聴衆もこれに圧倒されて、2000人近い人達が我を忘れたごとく固唾を呑んで、物音も立てずに聴き入った経験はいまも忘れられません。
その繊細な美の世界にじかに触れられたときの満足は、たとえどんなに立派に弾かれたソナタやバラードやエチュードでも得られない圧倒的な世界があり、会場は感動と静謐によって完全に支配されます。
ユッセン兄弟のノクターンがそこまで神がかり的なものであったとはいいませんが、広い会場、弱音でも遠鳴りするスタインウェイから紡ぎだされるショパンの美の世界は、あまり技巧的でも、音数が多すぎても何かが失われてしまうところがあって、その点ではノクターンはショパンに浸り込むにはある意味理想の形式かもしれません。
その後、弟のほうが幻想ポロネーズを弾き、最後は二人でラヴァルスとなりましたが、これはこれで素敵な演奏ではあったけれど、3つのノクターンほどの感銘はありませんでした。
しかし、僅かでも深く印象に刻まれる演奏をするということは、そうざらにあることではありません。
ふたりはインタビューの中で「お客さんがチケットを買ってよかったという演奏をしたい」「10年後にも印象に残るような演奏をしたい」「簡単なことではないけれど…」といっていましたが、一部でもそれができているのは大したものだと思いました。
むろんマロニエ君はチケットは買っていませんけれど!