筒抜けのストレス

昨年の大晦日にギックリ腰になってからというもの、しばらくは整体院に通っていたのですが、いろいろと感じるところがあって最近になって行くのを止めました。

もちろん大きくはギックリ腰がようやく治ってきたということもあり、一説によれば、整体など行かずとも、この手のことは整形外科などに行ってレントゲンを撮り、とくに骨に異常がなければ主に時間が解決とする専門家の意見もあるので、整体の有用性というのは疑問の余地がありますが…。

やめたのは整体院の施術そのものが気に入らなかったというわけではなくて、むしろ行った後は身体が軽くなり、整体師さんの話では、痛めた腰を治すのももちろんだけれども、そのあともできるだけ来てもらって身体をほぐしたほうが、全身に変なクセなどつかずに良いということを言われていました。

マロニエ君もそれにはある程度賛同できていたし、はじめに行った金取り主義とは違って、こちらの整体院は価格も一回500円ほどと非常にリーズナブルで、しばらくは暇を見つけてはすかさず予約をとって通っていました。
全身をプロの手でほぐしてもらうというのは、ときにきつい瞬間もあるけれど、全体としてはとても気持ちがよく、すがすがしい気分で帰ることもしばしばで、これは続けたほうが身体にも良いだろうと実感していたほどです。

ところがそれほど意識はしていませんでしたが、回を重ねるごとに億劫さが増してきて、ハッと気がついたときは1週間行かなくなり、それが10日、2週間と間隔が伸びてきて、ついには行かなくなってしまったのです。
その理由というのは、うすうす自分でもわかっていました。

整体院はマンションの1階の狭いとろこだったのですが、そこにズラリと施術台が並べられ、その間にはうすいカーテンがぶら下がっているだけです。
ということは、施術中の姿を他者に見られる心配はないけれど、そこで交わされる会話はたとえ小声であっても院内に筒抜けでした。

この整体院には常時数名の男女整体師がいつも忙しく働いており、それぞれがお客さんの身体を押したりほぐしたり引っ張ったりと、まさにかなりの肉体労働だろうと思いました。
ほとんど機械に頼らない施術であるだけ、人の手によって大半の時間(通常30分)が費やされるばかりか、その間、受け身である客との会話がとめどな続きます。

世間話、身体のこと、家族のこと、先日どうしたこうしたという話まで、話題は多岐にわたり、それを整体師さん達はさもおもしろおかしく聞き役に回って、お客さんの気ままな話をすべて引き取って相槌を打っています。
それが個室ならともかく、わずか数十センチしか離れていない施術台のあちこちから聞こえてくるのですから、いやでも鮮明に耳に入ってくるわけで、当初からそれだけはちょっと抵抗があったけれど、慣れるどころか、ますますその空気感が耐え難いものになってきたのです。

こういっては何ですが、まあ第三者として聞くにはまことにくだらない話題で、話している方も、普段これほど熱心に話を聞いてくれる人なんていないはずから、余計にいい調子で喋っているのが痛々しいし、それを完璧にガマンしながら面白おかしく、まるで重要な取引先の接待のように愛想よく相槌を打っているのは、たとえ仕事とはいえ、耳にするこちらのほうがいたたまれない気分になります。

むろん、こちらにもあれこれと話しかけてきてはくれますが、他者の耳が気になってしかたなく、マロニエ君はとてもではないですがそれに乗じてペラペラ喋るというような無邪気さを持ちあわせておらず、そういうことがだんだんにストレスになって、ついには行くのをやめてしまったのでした。

それにしても、あの整体院の皆さんは、若いのにそのプロ根性はすごいなと素直に思いましたし、同時に何か切ない感じもあってマロニエ君にとっては快適な空間とはなり得ませんでした。

きっと皆さん、今日もあの調子でせっせと他人の身体をもみほぐしながら、神経も使いながらお客さんの四方山話を聞いているのでしょう。いやはや見上げたものです!