音に特徴のあるピアニストというのはいろいろといるものですが、現在過去を含めて、つい先日、なんとはなしにふっと思いついたのがアナトゥール・ウゴルスキでした。
彼が不遇であったソ連から西側に亡命し、ドイツ・グラモフォンからつぎつぎに新録音が発売される度に、驚きと、これまでに体験したことのない一風変わったピアニズムにある種の違和感をも覚えながら、このケタ違いのピアニストの演奏にはいつも関心を持って接してきたように思います。
いかにもこの人らしい曲目としてはベートーヴェンのディアベッリ変奏曲、メシアンの鳥のカタログ、それにブラームスの3つのピアノソナタなどが真っ先に思い出され、久々にブラームスのソナタを聴いてみることに。
1、2番も壮麗で見事だけど、とくに3番の出だしの和音の輝くような鮮烈さには、とろんとした眼がカッと見開かされるみたいで、もういきなりノックアウトされました。
譜読みの上手くて指の動きが素晴らしいピアニストはごろごろいても、こういう腹から鳴るような音を出すピアニストというのはめっきりいなくなりました。叩きまくることを恐れてか、妙にスタミナのない、背中を押してやりたくなるような植物系ピアニストがずいぶん増えたように思います。
そんな耳に、ウゴルスキの演奏は食べきれない量の最高級ディナーでも出されたようです。
しかも、単なる轟音にあらず、どんな強打でも音が割れず、かといって体育会系のマッチョ演奏ともまったく違う、内的な表現とか、真綿でくるむようなpp、pppの妙技にも長けていて、この人がまぎれもない天分と個性をもった、他に代えがたい大器であったことを再確認しました。
こんなとてつもないピアノを弾く人が、ソ連時代にはピアノを弾くことさえも許されない状況が続いたなどというエピソードが有りますが、まったくもって驚くほかはありません。
たしか彼が西側デビューしてしばらくしたころ、日本にもやってきて、渋谷のオーチャードホールでディアベッリ変奏曲を弾いたリサイタルの様子はテレビ放映され、そこでも傑出した音の輝きが印象的でした。
録画はしていたものの、VHSで今や見ることも叶いませんが、当時つや消しだった頃の1980年代初頭のスタインウェイから紡ぎだされる燦然として重量感のある音色は今も深く印象に残っています。
ウゴルスキは最近どうしているのか、ネットで調べればわかるのかもしれませんが、とんと話題にならないところをみるとさほど演奏活動をしていないのかもしれませんし、だとすると非常に残念です。
CDで彼を最後に認識したのは、ドイツ・グラモフォンではないどこかのレーベルからスクリャービンのピアノソナタ全集を出したときで、それいらい音沙汰が無いような気がして、その動向が気になります。
ウゴルスキのあの絢爛とした音色の秘密は、ひとつには彼の指ではないかと思っています。
大きくて、太く肉厚で、しかもそれがクニャクニャした軟体動物のようで、あんな特殊な指の作りだからこそ、ダイナミクスにあふれた極彩色の音色のパレットとなり、どんなフォルテッシモでも音に一定のしなやかさがあって、決して叩きつけるような硬質な音になりません。
ウゴルスキに限らず、アラウとか、日本人では賛否両論のフジコ・ヘミングも、太いソーセージみたいな指から、温かな芳醇な音を出すところをみると、どんなに難曲を弾きこなせても、蜘蛛の足のように細い指をしたピアニストは、率直にいってあまり音に期待はできません。
パッと音色は思い出せませんが、若いころのポゴレリチもそんな魔物のような指をくねらせながら、あれこれと独特な演奏を繰り広げていたのをいま思い出しました。
音色でいうと、ミケランジェリやポリーニという人も少なく無いと思いますが、マロニエ君の好みで言うと、そのあたりはあまりにも苦悩のごとく追求され過ぎており、聴いていて開放感がないというか、もっと率直にいうと息が詰まってしまうようです。
ウゴルスキの音楽を全肯定しているわけではないですが、彼のピアノの音を聴いていると、ピアノという楽器の広さと深さを同時に押し広げられるような気がして、独特の快感があるのは確かでした。