ゲニューシャスなど

クラシック倶楽部の録画から昨年6月のラルス・フォークトのピアノリサイタルを視ました。

会場は紀尾井ホールで、まず冒頭のシューベルトの晩年のハ短調のソナタを聴いてみるも、時間の関係から第1楽章と第4楽章のみで、あの美しい第2楽章は割愛されてしまいました。
尤も、フォークトの演奏ではなかなかシューベルトの切々たる美しさは伝わらず、これでは聴き逃してもあまり惜しくはないようでした。

その後はシェーンベルクの6つの小品op.19を弾き、そこから切れ目なくベートーヴェン最後のソナタへと続けられます。
インタビューではそうすることに意味があるというようなことを言っていましたが、マロニエ君は「そうかなぁ…」という感じでいまいちその意図は計りかねました。
シューベルトとベートーヴェンは共に晩年のソナタで、なおかつハ短調というところで統一したのでしょうか。
まあ、そのあたりはどうでもいいけれど、以前からどうしてもこの人の演奏には共感を得ることができず、それは今回の演奏でも同様の印象を上書きすることになりました。
もちろん、どんなピアニストでも全てに共感を得ることなどまずありませんが、ところどころで「なるほどね」とか「そういうことか」と思わせる何かがないと、聴いているほうはつまらないものです。

ひところでいうと、この人のピアノで最も気になるのはガサツさです。
解釈においても、ディテールにおいても、意味あって必然性に後押しされてそうなるというところが見受けられず、全体的に大味で、外国製の作りの粗い製品に触れるような感じがします。
なんでも最近ショパンのアルバムをリリースしたとかで、怖いもの見たさでどんなことになっているのやら聴いてみたいような気もしますが、自分で購入する気などさらさらないので、そのチャンスがあるかどうかわかりませんね。

リサイタルに戻ると、せっかく立派な曲ばかりを弾いているのに心に染み入るところがなく、ざっくりいうと音の強弱とテンポの緩急ですべてを処理している…そんな独りよがりな印象があるばかりです。

もうひとつ、ルーカス・ゲニューシャスのピアノでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(N響)を聴きましたが、いかにもロシア人といった野性が、本性を抑制しなくてはならないという意志の力と戦っているようです。
そうはいっても、体の作りから指のテクニックまで、すべてが分厚くたくましくできており、さすがに聴いていて不安感というものはありません。
小指も普通の男性の中指ぐらい優にありそうで、あれだけの体格でピレシュやケフェレックと同じサイズのピアノを弾くわけですから、まして音楽一家に生まれ育って訓練を積めば、そりゃあずいぶんと有利であることに違いありません。

しかし、感情が先行するロシアの演奏家にしてはもうひとつ酔えないし、どこか力くらべのような、タラタラと汗をかきつつガッチリと作法通りの演奏を確実に片付けていくだけで、この人なりの個性を楽しむ余地であるとか、いま目の前に作品が命を吹き込まれて立ちのぼってくるような感銘は個人的にあまりありませんでした。
あらかじめ予定され決められたことが、ほぼ間違いなく実行に移されている現場…というだけの印象。

不思議なのは、若い男性の、いかにも体温の高そうな汗ばんだ太い指から出てくる音は、期待するほど凛々しいものではなく、むしろ伸びのない、多くが押し潰したような音であったのは意外でした。

ときどきロシアのピアニストに見かけるパターンとしては、楽曲の一つ一つに自己の感興感性を照応させるのではなく、ピアノ演奏をパターンというか「型」にはめて処理することで何でも弾いていく人がいますが、ゲニューシャスもどことなくそのタイプのような印象を覚えました。
うわ!と思ったのは、コーダからはことさら意識的にヒートアップして、派手に締めくくってみせたのは、ウケを充分心得ているようで、そこだけ数倍も練習しているように見えてしまいました。

後半は白鳥の湖。
指揮者のトゥガン・ソヒエフがボリショイ劇場の音楽監督というだけのことはあって、N響がまるでロシアのオーケストラのように変身して、これにはさすがに驚きました。
ソヒエフ氏が選んだという特別バージョンの組曲でしたが、なんの小細工も施さず、チャイコフスキーの作品をあるがままに描き出すことを狙っているのか、誤解を恐れずにいうなら、恰幅がよく、同時に厚塗りだが平面的で、どこまでも広がる壮大な景色のように演奏されました。
テンポも強弱も一定で、ロシア人以外にああいった演奏は体質的にできないと思いました。

日頃から上手いことはわかっていても、いまいち好きになれないN響ですが、指揮者によってこれほど変幻自在なオーケストラであることがわかると、あらためてある種の凄みのようなものを感じました。

現代はカリスマ的な大物が出にくい反面で、平均的な実力や偏差値はとても上がっているご時世で、集団で緻密なアンサンブルとクオリティがものをいうオーケストラとなると、そりゃあN響のようなオーケストラが俄然力を発揮するのもむべなるかなという感じでした。
N響も紛れもなくジャパンクオリティのひとつに列せられて然るべきもののようです。