不器用がいい

先日、録画したままになっていたBSの番組で、人間国宝の「十四代酒井田柿右衛門」のインタビュー番組を見てみました。
この番組は、2010年に放送されたものの再放送で、十四代はそれからわずか3年後の2013年に他界されたとのことで、いわば晩年の姿と話をとらえたものだったといえるようです。

本当は作品見たさに再生ボタンを押したところ、実際はインタビューばかりでいささか落胆していたのですが、訥々とした話しぶりの中から、なるほどと思われるような言葉が出てくるあたり、だんだん面白くなって結局最後まで見てしまいました。
90分の放送時間は、大半が柿右衛門さんへのインタビューで、あまり話好きな方のようにはお見受けしませんでしたが、渡邊あゆみさんの聞き方が巧みだったのか、時間が経つに連れてしだいに饒舌になり、いろいろと興味深い話を聞くことができました。

柿右衛門は濁手(にごしで)という特徴的な白の上に、柿右衛門様式にしたがって絵付けがされていくものですが、その鮮やかな絵柄とともに重要なのが、余白を占める「白」だそうで、これは地元の泉山というところで採れる石を使っているとのことでしたが、その太古からの自然の恵みを充分に含んだ石のもたらす風合いが肝心の由。

最も印象にのこったのは、「きれい」と「美しい」はまったく別のことだということ。
現代は科学技術の進歩で、陶器の地肌であれ絵の具であれ、純粋に精製されたきれいなものが安易に手に入るけれど、それらはきれいではあっても風合いや味わいがなく、柿右衛門さんは一切それらを使うことなく、昔の手法にこだわっているとのこと。

柿右衛門のあのどこか透き通るような、単純な白色ではないデリケートな風合いをもった地肌の上に、様式にかなった様々な絵柄が乗った時にえもいわれぬ仕上がりになるのだというのがあらためて納得です。
あれがもし単純な白、透明感のない単調な白であったら、それは柿右衛門とは似て非なるものになってしまうことは素人目にもはっきりとわかります。他の地域の石を使うと、色はきれいでしかも使いやすく、有田焼にもたちまち浸透した時期があったそうですが、柿右衛門窯では敢えて使いにくく「きれい」でもない地元の泉山の石にこだわったとのこと。

美しいものを作り出す伝統とは、そういうものだということですね。

また科学技術の進歩の代償として、日本の伝統工芸の技は急速に失われていくことは間違いないということでした。

これは楽器作りと全く同じことで、楽器にかぎらず、すべての手仕事の世界というものは、一見むだとも思えるような労苦の果てに到達するものですが、それを現代でも継承していくのは、よほどの気構えでないと難しいのだということをまざまざと思い知らされます。

現代でもっともコストの掛かるものは人件費であり、それを他に置き換えるために科学技術は多くの叡智をつぎ込んでいるわけですが、それはいいかえるなら真の意味での最高級品を絶滅させてしまう行為なのかもしれません。

陶芸でも楽器でも、ピラミッドの頂点にある最高級品のクラスだけは従来の伝統工芸なり製法が守られたにしろ、それ以外のほとんどは合理化の波をかぶったきれいなだけの無機質なものに姿を変えてしまっているということです。

べつに伝統工芸といわずとも、例えば古い電気製品でも、昔のものは現在ならおよそ考えられないようなガッチリした丁寧で頑丈な作りだったりすることに、処分をすることになってそれを手にした時、現在の製品との質感のちがいに思わずハッとしてしまうことがあります。

もちろん、普及品などは過度に手をかける必要もないけれども、ハイテクや合理化は決してジャストポイントでブレーキが掛かることはなく、大半は残す必要のある部分まで一気に飲み込んでしまうようです。

柿右衛門さんの言葉でもうひとつ印象に残ったことは、職人は「不器用なほうがいい」ということ。
真の職人は不器用な人で自己主張をせず、何十年をかけて決められた伝統手法の体得に生涯を捧げるのだそうで、器用な人というのはそこにどうしても自分らしさや個性がでてしまうので却って困るということでした。

どんなに立派な仕事をしても、そのあたりが作家と職人を隔てる一線のような気がしました。
ではピアノの技術者は音作りという点において、作家なのか職人なのかという問題を考えてしまいましたが、整音や調律によって音を作るという一面があるとしても、やはりそれは突き詰めていうなら作家ではなく「職人」の範疇に入れられるべきものだとマロニエ君は考えます。

いかに優れた音作りであっても、ピアニストや作曲家を差し置いて、ピアノ技術者の個性が演奏の前に出てくるようなことがあってはならないからで、その点で言うとピアノの調整技術に携わる人はやはり職人の伝統技法の世界に中にあるものだと思いました。

調整技術どころか、ピアノの製作においても、各セクションの職人さんはまさに職人なのであって、唯一作家であることが許されるのはピアノ設計者だけだろうと思います。