ひっかかる言葉

もうすでに類似のことを書いたかもしれませんが、最近よく使われる言葉や言い回しの中には、ちょっとしたことなんだけれど、聞いていてそのたびにクッと神経にひっかかるというか、聞き心地の良くない言葉というものがあります。

どなたにもひとつやふたつ、そういう言葉があるものと思いますが、それは人によっても違ってくるでしょう。

マロニエ君にとって、最近抵抗を感じるのはお礼を言うときに「ありがとね!」という、あれです。
幸い自分が言われたことはないけれど、外でちらほら耳にすることがあり、これがどうも嫌なんです。
その理由をなんだろうかと考えてみましたが、はっきりしたことはわかるようなわからないような。

強いて云うと、せっかくの謝意がちょっぴり品のない響きになってしまうという残念さがあると思います。
どうしてふつうに「ありがとう」「どうもありがとう」ではいけないのか…。

マロニエ君は個人的に、美しい日本語の中でも、「ありがとう」とか「さようなら」「お父さん(お母さん)」というのは、とくに平易な言葉の中でもとりわけきれいな言葉だと感じるのですが、それをわざわざ「ありがとね!」にしてしまうのは、聞いていて快適ではないし、せっかくのいい言葉(しかもよく使う)をわざわざこんな風に崩して使い、それがだんだんに勢力を増してきているのには閉口してしまいます。

もしかすると「ありがとう」や「どうもありがとう」では美しすぎるから、どこか気恥ずかしさがあるのかとも思いますが、こんなきれいな、まるで空中にふわりと浮かぶような言葉はなかなかないし、語尾が「…とう」でやわらかく終わるところに品位とほのかな美しさがあるように思います。
それをわざわざ「う」を取って代わりに「ね」で締めくくると、ベタッと地面に落ちてしまってニュアンスやデリカシーもなくなるし、「ね」の強さが相手側にキュッと指先で押し込むような暑苦しささえ感じます。
今どきの人は、よほど言葉に対する心得のある人でないかぎりは、「父」「母」のことも「父親」「母親」と敢えて第三者的な言い方をしますし、そうかと思うと、人の奥さんのことは誰かれ構わず「奥様」といったりで、とにかくてんでバラバラです。

奥様というのが悪いわけではないけれど、あるていど奥様という言葉にふさわしい相手であってほしいし、言う側も前後の言葉をそれなりのきちんと間違えずに流暢に操ることのできる人に限られるというのがマロニエ君の持論です。しかるに、そこだけ取ってつけたように「奥様」なんていわれたら、却ってぎょっとするし、言っている側も言われる側も蓮っ葉になるのが関の山です。

そもそも言葉というのは不足でも過剰でも美しくないもので、デパートの外商とか美容院ならともかく、普通は奥さんで充分だと思います。とくに男性は「奥さん」「お子さん」ぐらいに留めておいたほうが、むしろ好印象なのではないかと思います。

もはや笑ってもいられないのは、言葉に関しては訓練を受けているはずの司会者などが、そこらの芸能人の奥さんのことを馬鹿丁寧に「奥様」などといったかと思えば、同じ人が「天皇皇后両陛下がどこそこに行き、ひとりひとりに言葉をかけました。」などと平然と言うのですから、言葉文化はめちゃくちゃという気がします。

震災で傷ついた熊本城の痛ましい被害状況を見ると、みんな「うわぁひどい…なんとか再建しなくては!」と思うのに、言葉の文化で無残な崩壊状況があっても、大半の人がなんとも思わないので、修理も訂正もできない現状は非常にやりきれない気分になるばかり。
言葉の美しさは適材適所の使い分けでもあって、やたら丁寧語を乱発すればいいという今の風潮はなんとかならないものかと思います。
もう少し日本語の真の美しさに敏感になりたいものです。