ブゾーニざんまい

久しぶりに感銘を受けるコンサート(TVですが)に出逢いました。
NHKのクラシック倶楽部で、まったく未知であったサラ・デイヴィス・ビュクナーというアメリカ人ピアニストによる、ブゾーニ生誕150週年記念コンサートの模様が放映され、これに大いに感激しました。

会場は京都府立府民ホール・アルティ。
ステージは低く、左右両側からゆるやかな階段状になった底の部分にピアノ(CFX)が置かれる。

ビュクナーはピアニストであると同時にブゾーニの研究家でもあるらしく、彼の義理の娘とも親交があって多くの事を学び、ビュクナーのニューヨークデビューには彼女も立ち会ったとのこと。

まず正直に云うと、マロニエ君はむかしからブゾーニの音楽があまりわかりませんでした。今でもわかりません。
バッハの編曲なども多数あるし、単独の作品もCDなど少しはあるけれど、聴いていて自分なりに何かが見えるとか掴める気がしないというか、いったいどこにフォーカスして聴くべきなのかがよくわからない。それでいてやたらデモーニッシュな印象のある作曲家でしたが、今回はビュクナー女史のおかげで、ほんの少しだけわかったような気がします。

演奏されたのは、ブゾーニの7曲からなるエレジー集、さらにブゾーニの影響受けたというカゼッラの6つの練習曲。アンコールにはビュクナーが書いたという「フェルッチョ・ブゾーニの思い出に」。

マロニエ君にとって昔も今もブゾーニは難解であることに違いなく、とくに謎だらけで解決に向かわない不協和声の連続などは、こちらの気持ちのもって行きようも覚束かないもので、このエレジー集も初めて聴くわけではない筈なのに、初めて聴くのと同様でした。
それでも、なんとはなしに、ブゾーニが新しい音楽を書こうという強い情熱をもっていた人だったということは、このビュクナーの凛とした演奏によって伝わってくるような気がしました。

とくに強く感じたのは、混沌とした時代に生き、人並み外れて情念の人だったのだろうということ。

しかしそのブゾーニの作品以上に感銘を受けたのは、ビュクナーの抜きん出た演奏でした。
かなりの難曲と思われる、この延々と続くエレジー集を、迷いのない、確信に満ちた演奏で弾き切ったことです。
マロニエ君にとっては曲が難解であるというだけで、演奏そのものは至って雄弁、しかも全曲暗譜という見事なものでした。
指はよほど分離が素晴らしいのか、10本すべてバラバラという感じであるし、柔軟かつきっぱりした表現でブゾーニの作品世界に案内してくれました。
また身体や指も完璧ともいいたい脱力状態で、技術的にも一切の破綻がなく、その自在な演奏は見ているだけでも惚れ惚れするようなものでした。

楽器に対する直感力もよほど鋭い人なのか、CFXのいい面ばかりを引き出し、このピアノ特有の響きの底付き感が出る一歩手前で鳴らしきるあたりは神業で、このピアノの良い面ばかりがでていると思いました。
はじめ、舞台に置かれたCFXが映ったときは、内心ちょっとがっかりしたのですが、始まってほどなくすると、そんな思いは消し飛んでしまい、しかも苦手な作品にもかかわらず、ひたすらこの素晴らしいピアニストの雄弁な演奏に引き込まれてしまい、あっという間の55分でした。

カゼッラの練習曲もいかにも演奏至難という感じでしたが、ここでも見事な演奏。まさに適材適所に高度なテクニックを駆使できる点は、この人の終始一貫した特徴のようです。

あとから調べてみると、この日のプラグラムには、ほかにブゾーニによるバッハのゴルトベルクの自由編曲、リストのパガニーニ練習曲の自由版などがあって、これはもうぜひ聴いてみたいところ。あとは頼みの綱のクラシック倶楽部アラカルトに希望を託すしかありません。

とにかくこれはずごいピアニストだと思って、さっそくCDを調べてみたところ、ブゾーニのゴルトベルクらしきものが一点あったけれど、すでに発売終了の商品で、それ以外にはなにも見つからずガッカリでした。
ビジネスや名声でなく、こういう地道な演奏と研究を続ける人もいるのだということを思うと、そういう人がなかなか表に出てこない世の中が恨めしく思われるばかりでした。

有名ではないけど真に良いピアニスト、良い演奏に触れる機会というのは、奇跡的に少ないのだというのが現実なんだろうと思うと、そういう機会を作ってくれたNHKはさすがと思うばかり。