ふたを閉めて

このHPやっているお陰もあって、ピアノがお好きな方からメールをいただき、それがご縁となって、以降電話やメールのやり取りをするようになった方というのが、ごく僅かですがおられます。
そのうちの、福岡にお住まいの某氏と久しぶりにお会いすることになりました。

この方とお会いするのは二度目ですが、今回はマロニエ君の自宅に来ていただいて、中華の出前をとって食事などしながら、夕方から深夜まで音楽談義で過ごしました。

とても楽しいひとときで、ピアニストの話が多くを占めましたが、とりわけ印象的だったのは、すぐ脇にあるピアノを弾くということは、互いにほとんどなかったことです。

ひとくちに「ピアノ好き」といっても、ほとんどの人は「ピアノを弾くこと」が好きで、ピアノ好き→優れたピアニストの演奏に関心がある→つまり音楽好き…という図式はまったく通用しません。
ピアノは弾いても、それが終わるとピアノとはまったく関係ない雑談ばかりが延々と続き、音楽の話などしないのがこの世界では普通なのです。
マロニエ君もはじめはこの実態に驚愕しましたが、音楽やピアノの話に興じるほうがよほど特種で異端らしいのです。

通常の趣味の世界では、その道の最高峰がいかなるものか、あるいはもろもろの情報には嫌でも関心があるし敏感になるもので、テニスをやっている人がウインブルドンにぜんぜん無関心とか、世界ランキング上位の選手の名前も知らないなどというのはほぼあり得ないだろうと思うのですが、ピアノに関しては…それが「普通」なのです。

では、ピアノ趣味の人は普段なにをやっているのかというと、ただ教室などで習っている目の前の曲をマスターするまで練習し、それを発表会という晴れの舞台で弾くという、えらくシンプルな一本道にエネルギーを注ぐということの繰り返し。
真の芸術的演奏とはいかなるものか、あるいは膨大にある優れた楽曲を少しでも知りたい…というような方面にはあまり欲求がないというか、ほぼ無関心に近いのはまったく信じられないのですが、それが現実。

そしてパフォーマンスとしてかっこいい系の有名曲を弾くことが練習するにあたっての最大のモチベーションで、おそらくはラ・カンパネラとか英雄ポロネーズを発表会で弾くことが最高目標なんでしょうね。
音楽というより、単なる自己実現のカタチがたまたまピアノなんだろうと思われます。
もし仮にあこがれの英雄(第6番)に挑んだにしても、前後のポロネーズ、すなわちあの魅力的な第5番、あるいは晩年の最高傑作のひとつである第7番がどんな曲かなんてことは、まったく関心もない。

マロニエ君はべつに頭から発表会を否定しようというような考えではありません。
正直に云うと、個人的にはあの系統は好きではないし共感もできかねますが、そこにもきっとなんらかの意味はあるのだろうと思うし、それを好きだというのも自由なわけで、カラオケで熱唱するのが好きで、それに入れ込む自由があるのと同じです。
ただ、自由ではあるけれど、日々ピアノにふれ、何らかの作品を奏しながら、それでも音楽そのものにほとんど見向きもせず、ピアノが趣味という口実の道具に使われているように見受けられることについては、そこに発生する違和感まで消し去ることはできません。

あっと…もともとそんなことをくどくど書くつもりではなかったわけで、話は戻り、冒頭のその方とはいろいろとしゃべったり、お持ちのiPadからさまざまなピアニストの演奏や動画を見せていただくなどしているうちに、瞬く間に時は過ぎました。

普通は共通の趣味人同士が集うと、顔を合わせるなりたちまちその世界に入って、何時間でも疲れ知らずでしゃべっていられるものですが、ピアノの場合はこんな当たり前なことが、こんなにも稀有な事だというのをあらためて痛感しました。

今はなき往年の巨匠の演奏から、名も知らぬ才能ある子どもの演奏まで、ネット上には貴重な音源と映像が多数存在しており、この日は珍しい映像をいくつも見て聴いて堪能することができました。とくに人にはそれぞれ好みがあって、この人のこれが好きとか、これがたまらないというようなこともたくさんあって、大いに共感できること、そうでないことなど人の好みを聞いているのも面白いものでした。

話は尽きず、お開きになったのはもう少しで日をまたぐ時刻になりました。
ピアノは弾いてこそピアノという一面があるのもわからないではないけれど、かといってシロウトがやみくもに弾くばかりでは耳がくたびれるばかりです。
趣味として奥深いところで遊んでみるには、むしろピアノのふたは閉めておいたほうが面白いというのもひとつあるように思います。