オーラ

ずいぶん前の録画ですが、N響定期公演でブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲が演奏されたのがあって、それをついに見てみることに。

なかなか見なかったのは、マロニエ君にとってこの曲は、大好きなブラームスの中ではさほど魅力的には思えないところがあって、つい後回しになっていたからでした。それでもソリスト次第ではそちらへの好奇心から引き寄せられることはありますが、今回はそういう感じでもなく、ずいぶん長いこと放置してしまいました。

指揮は、このところN響をよく振っているトゥガン・ソヒエフ、そして肝心のソリストは、ヴァイオリンがフォルクハルト・シュトイデ、チェロがペーテル・ソモダリで、共にウィーンフィル/ウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーで、シュトイデ氏はコンサートマスターでもあり、この両者は通常公演の他にも、室内楽などの共演も積んでいる由。

冒頭インタビューでソヒエフ氏は、この曲はとくに高いアンサンブルが求められるもので、当日顔会わせしてリハーサル、本番、終わったらさようならというだけでは曲の真価が発揮できないというようなことを言っていました。
そして、この日のヴァイオリニストとチェリストがいかに理想的な二人であるかを述べたのでした。

しかし、実演を聴いてみると、マロニエ君はまったくそういうふうには感じなかったというか、むしろ逆の印象を受けてしまい、もともとさほどでもないこの曲が、これまでとは違う、あたりしい魅力をまとってマロニエ君の耳に響いてくるという期待は裏切られ、むしろさらなるイメージダウンになってしまいました。

いつも書いているように、演奏の良否(といえばおこがましいので、強いているなら自分にとっての相性)は始めの数秒、大事をとっても5分以内に事は決してしまいます。
この間に受けた印象は、最後まで、まずほとんど覆らない。

この二重協奏曲は、オーケストラの短い序奏の後でいきなりチェロのカデンツァとなり、そのあとヴァイオリンが和してくるのですが、なるほど二人の息はぴったり合っているし、アーティキュレーションも見事というほど一体感がありその点は、いかにもよく弾き込まれ、万全の準備をしてステージに立っていることが伝わります。
とくにウィーンフィルらしく、ちょっと嫌味なぐらい自信満々に演奏されていました。

しかし、どんなに素晴らしくとも、二人の演奏はソロではなく、あくまでも優秀なアンサンブル奏者のそれだとマロニエ君には聴こえて仕方がありません。

曲は隅々まで知り尽くされ、その上でいかにも闊達な演奏を繰り広げているけれど、それがどれほどヒートアップしても、それは協奏曲におけるソロの音…ではない。
よくヴァイオリンの鑑定などで「大変素晴らしい楽器です。しかし大きな会場での演奏よりは、むしろ室内楽などに向いているようですね。」といわれるあの感じで、とても熱っぽく弾かれているが、いかんせん楽器の箱があまり鳴っておらず、オーケストラが入ってくると、すぐに埋もれてしまいます。
これは別に音量の問題ではなく、ソロとしての輝きがないからでしょう。

また、年中オーケストラでオペラなどを演奏しているからなのでしょうが、演奏は正確で折り目正しく、決してアンサンブルから外れることはないのですが、それがこの曲では良い面に出ず、いかにも中途半端なものに終始しました。
ひとことでいうなら「あまりに合い過ぎて」つまらないわけです。
しかも時折ソロを意識してか、ハメを外すような弾き方をする場面もあるのですが、それも一向に効果が上がらず、却って虚しいようでもありました。

あれだったら、二人ともオーケストラの中に入って、適宜ソロパートを弾くほうが、このときの演奏には音と形がよほどあっているように思いました。

この二人に限りませんが、マロニエ君はオーケストラの団員出身者が、その後ソリストとして大成した人というのは、ゼロではないにしてもほとんど知りません。
ソリストというのは音楽上のいわば主役を張れる役者であり、長年オーケストラで過ごした人の大半は、もともとそういうオーラが無いのか、あるいは長い団員生活の中で退化してしてしまっているのかもしれません。日本人でも同様の経歴をたどって、ソロ活動へシフトした人が何人かいらっしゃいますが、どうしても真のソロにはないようです。

名脇役はどんなに名演であっても主役とは違うし、極端なはなし技術は少々劣っても、主役にふわさしい要素を備えている人というのがあるのであって、このあたりはキャスティングを誤ると、音楽でも決して最良の結果にはならないようですね。