こないだの日曜だったか、民放BSで『市川染五郎が見た あっぱれ百年企業 ~これぞニッポンの仕事~』という2時間番組があり、そこで取り上げられた3社のトップバッターがヤマハ株式会社でした。
今は浜松ではなく、掛川にあるピアノ工場を染五郎さんが訪ねます。
広大な敷地の中にあるショールームのような建物に入ると、きれいに磨かれた自動ドアが開くなり、現社長の中田卓也氏が深々とお辞儀をしながらのお出迎え。
その中田氏のかたわらにはグランドピアノ型の電子ピアノが置かれていて、開口一番「これが私も開発に参加したピアノです!」といって、得意満面のご様子。
とはいっても、ここはヤマハ株式会社の本拠地なのだから、そこでいきなり電子ピアノというのは違和感を覚えました。
もしかするとこれが今のヤマハの最も代表する看板商品なのかもしれないけれど、やはり世界のヤマハを標榜する以上は、まずは電子ではなくアコースティックピアノであってほしかったと思います。
番組としては、電子楽器としてここまで発展したピアノが、元を辿れば明治時代のこの1台のオルガンから始まりましたという、社史を振り返る流れだったようですが、だとしても納得できない感覚は払拭できませんでした。
どうぞどうぞ!と促されて染五郎さんがポンポンと音を出しますが、テレビのスピーカーを通しても、いかにも電子ピアノらしい音が聞こえるものです。とくに電子ピアノは、最初に出た瞬間の音より、そのあとの余韻のところに人工合成された不自然を感じます。
そのあとで、社長自らも「展覧会の絵」のプロムナードの一節をちょちょっと弾かれました。
出迎えでのいかにも腰の低そうなお辞儀や物腰、若くてカジュアルで、あくまでフレンドリーに話しをされる様子、そして製品の開発にも参加するほどの技術者でもあること、おまけに少しは演奏もできるのですよということまで、冒頭のわずか1分ちょっとの間にこの方のプロフィールの要点を圧縮して披露されたという感じ。
社長さんのアピールはいいけれど、この一場面を見ただけでも、世の中は電子ピアノが圧倒的主流で、ヤマハ自身が生ピアノをさほど重要視していないかのような感じを受けたことは、どうも出鼻をくじかれた気分でした。
そのあとは創始者である山葉寅楠が浜松の小学校のオルガン修理を頼まれたのが始まりで…というストーリーが再現ドラマによってしばらく続きます。
途中で、調律の簡単な説明がありましたが、染五郎さんがいかにもおっかなびっくりの手つきで自らチューニングハンマーを回し、うねりというか音の変化を感じてみせるあたりは、いかにも無理があるなぁ…という印象。
こう言っては申し訳ないけれど、あの一種独特な雰囲気をもつ歌舞伎役者と西洋音楽のグランドピアノというのは、どう見ても相容れないというか接合点が見当たらず、全然溶け合わない様子は想像以上で、妙なところでびっくりしました。
人でもモノでも、ふさわしい場所や相手を得たときにはじめて本来の輝きを得るものですね。
後半は、バックにCFXが置かれた場所で、染五郎さんと社長の対談ということになりましたが、とくに深い話はなく、楽器作りと歌舞伎の世界を比較しながらという、なんだか取ってつけたようなわざとらしい対話がつづきました。
現社長は、いわゆる旧来の社長然とした物腰態度をいっさいとらず、たえず笑顔、他者と同じ目線をもつ仲間のような人物であることをそうとう意識されているようにお見受けしました。
ただし、やや行き過ぎの面もあり、染五郎さんのちょっとした言葉にも、過大に頷いたり感心したりと反応してみせるあたりは、まるで役者に話を聞きに行ったアナウンサーのようでした。とくに関係もないのに、いちいち「歌舞伎の世界では…」とそちらに置き換えて話を振るのも、きまってこの社長さんのほうでした。
まるで威張らない腰の低い自分を「自慢しているように」見えるのはマロニエ君の目がおかしいのか…。
社長さんのほうはたっぷりとご尊顔を拝しましたが、ヤマハにカメラが入ったからには、楽器の製造現場をもう少しみせてほしかったのですが、それはほとんどなかったのは残念としかいいようがありません。
現在のヤマハはなんと100種類以上の楽器を作る世界的にも非常に珍しい「総合楽器製造会社」なのだそうで、弦楽器・管楽器の制作現場なども見たかったですね。
せっかくBSで番組を作るなら、もっとコアな部分に踏み込んだものにしてほしいものです。