シャオメイの再録音

これまで何枚買ったかわからないバッハのゴルトベルク変奏曲のCD。
おそらく20枚以上はあるだろうと思うけれど、数えてみたことはありません。

ゴルトベルク変奏曲のCDは、聴くに耐えないような駄作率は意外に低く、どれもそれなりの仕上がりになっていることは大きな特徴のように思います。なんといっても作品そのものが圧倒的であることと、バッハは他の作曲者より演奏者の自由度が広いということもあって、弾ける人が弾きさえすれば、そうおかしなことにはなりにくいのかもしれません。

そんな中で、自分の好みという点では上位グループの中に、シュ・シャオメイがあります。
シャオメイは中国の文革を生き抜き、その後欧米に飛び出したピアニスト。文革という苛烈な経験の裏返しなのか、その人間味あふれる演奏は他のピアニストとは一線を画すものだと思います。
彼女は1990年頃にゴルトベルク変奏曲をレコーディングしてすでに高い評価を得ており、これはマロニエ君にとっても定盤なのですが、そのシャオメイがつい先ごろ、同曲を再録したものが発売となり迷うことなく購入しました。

さっそく数日にわたり繰り返し聴いてみましたが、なるほどディテールの表現が前作より角がとれ、深まりを見せているように感じられるところが多々あるなど、より自由かつ細密さを増しているのがわかります。
また、なによりもこの記念碑的な作品をリスペクトし、隅々までこまかく気を配っている真摯さが伝わり、四半世紀を経て、現在の彼女の心の内奥を覗き見るようでした。また、ところどころ、解釈の基軸にグールドの存在が見えるようです。

では、旧作に比べてどちらがいいかというと、さらに高まった純度や一段と練られたディテールなどを聴き取ることができるなど、大変に迷うところではあるものの、全体的な印象で言うなら旧作のほうにやや軍配をあげるかもしれません。
やはりなんといっても旧作には全体に新鮮さと活気、音色には温かさと色彩があって、ピアニスト自身にもパワーが充溢していたと思われるし、それでいて人の心に語りかけるような慈しみが充分あって、この点は今でも色褪せることはありません。

新録音ではさらにデリカリーとセンスが上積みされ、新旧2つはかなり拮抗しているというのが正直なところ。
一般論としても、満を持して録音された最初の録音というものには、演奏者自身が気づかぬくらいいろいろな要素が揃っている事が多く、結果、高い評価に至るというのはよくある事です。とりわけ意気込み、燃焼感、構成力などはあるていど若いときの演奏のほうがより充実しているものが少なくない。
それでも、本人にしてみれば反省点や新境地など不満点もあって、再録で問い直したくなるのはわかりますが、同時に前作にあった完成度のようなものが損なわれてしまうということがままあることも事実。

パッと思い出すだけでも、ゴルトベルクを再録したピアニストはグレン・グールド、アンドラーシュ・シフ、コンスタンティン・リフシッツ、セルゲイ・シェプキンなどがあり、グールドはあまりにも新旧違いすぎて単純比較はできないし、個人的にはっきり再録のほうが優ると言い切れるのは、表現の幅を広げて一気に円熟の艶を増したシフひとりで、リフシッツの再録は聴いていないし、あとはシェプキンかなぁというぐらいで、なかなか旧作を明確に上回ることは至難のように思います。

また、旧作はそれひとつで成り立つだけの独立性があるのに対し、再録というのは、あくまで旧作あっての再録という側面が少なくないようにも思います。

シャオメイの再録に話を戻すと、聴く者を惹きつけ、作品もしくは演奏世界に誘う力は旧作のほうがやや強かったように思うし、色彩感もこっちだったような気がします。新しい方はより独白的で、色彩もモノトーンというか、あえてモノクロ写真にしたような印象を受けました。尤もこれらはちょっとしたマイクの加減、調律の違いなどでも変わってしまうことがあるので、シャオメイが意図したものかどうかは計りかねますが。
いずれにしろ、シャオメイというピアニストは中国人ピアニスト(それも文革の世代の!)とは信じられないほど、中華臭のしない、音楽的には中道で誠実な演奏をする人という点で、稀有な存在だと思います。

毒のある魔性の芸術家も好きだけれど、こういう良心的な人柄そのもののような演奏もいいものです。

ライナーノートを見ると、ピアノについての記述があり、「For this recording a Steinway D274 was used.」と、中古というか、新しいピアノでないことがわざわざ記されていました。
録音はドイツ、レーベルはAccentus Musicですが、ピアノチューナーのところにはKazuto Osatoという日本人らしき名前がありました。