CFXの魅力

先日のEテレ『クラシック音楽館』では、尾高忠明指揮による5月のN響定期のもようが放送され、小曽根真/チック・コリアのピアノでモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲が注目でした。

このコンサートの会場はコンチェルトなどではいつも音が散ってしまうNHKホールだったものの、まったくそれが気にならないほど録音が好ましいもので、クリアかつ音量もあり、やはりこういう録音はやろうと思えばいくらでもできるんだということを証明しているようでした。
クラシックのコンサートというと、やたら小さく詰まったような音で録る場合が多いのは勘違いも甚だしく、ひとえに音楽的なセンスの問題だと思われます。

演奏自体は例によって、随所にジャズのテイストや即興を盛り込んだもので、今回はそれがわりに上手く行っているように感じられ、モーツァルトの原曲をぎりぎり損なうことなく、意外性に富んだ楽しめるアレンジになっているように思いました。
この点は、チック・コリアの采配なのかとも思いますが、そのあたりのことはよくわかりません。

ピアノは二人ともヤマハのアーティストだけに、当然のようにヤマハ。
CFXが2台、大屋根を外された状態で並べられると、いかにも日本製品らしい作りの美しさが際立っているし、大屋根はないほうが2台ピアノの場合、1台だけ外さず開けているいる状態より響きが均等になって好ましく思えます。
好ましいといえば、このときのCFXはとてもいい感じで、このピアノが出て5年以上経つと思いますが、マロニエ君は初めて心から美しいと感じることができました。

そう感じられたについては、録音、演奏、曲、調整などあまたの要素が相まってのこととは思いますが、ピアノそのものもムラなくレスポンスに優れ、明るくブリリアントで爽快感さえありました。
深みのある音ではないけれど、いかにも新しいピアノだけがもつ若々しい音でした。

またこの二人のピアニストは、タッチもわりに一定でダイナミックレンジが少なく、曲がモーツァルトということもあってか、花びらのような音の立ち上がりの良さもあって、CFXのもっとも良いところがでていたように思いました。
重量級の曲になると底付き感を見せたりすることがしばしばであったCFXですが、モーツァルトなどを明るく演奏するには最適なピアノなのかもしれません。

残念だったのは、ピアニストが両者ともタッチの切れがもたついていたこと。
とくにチック・コリアは、かなりのテクニックでならした人かと思っていたら、あれ?と思うような部分がないでもなく、さすがにお年なのかとも思いました。

小曽根さんを聴いていつも思うことは、今どきのピアニストとしてはテクニックは必要最小限でしかないけれど、それでもクラシックの演奏家が持ちあわせない、演奏というものが一過性の冒険で、純粋率直に楽しむことの意味を体験させてくれる点だと思います。
とくにそれをクラシックのステージで実践することは、失ってしまったものをぱっと取り出して見せられているような新鮮さがあって、なぜクラシックの演奏というのは、ああも必要以上に退屈なものにしてしまうのか、そのあたりは考えさせられてしまいます。

旧来のクラシックファンに向かってそういう問題提起をしているだけでも、小曽根さんの貢献は大きいというべきかもしれません。

ついでなので残念な点も書かせてもらうと、小曽根さんがつくづく日本人だと思うのは、彼のビジュアル。
お顔立ちがとっても和風ですが、いまどきヘアースタイルひとつでも、もうすこし彼が素敵に見えるものがありそうなものだと思うし、衣装があまりにダサいのは毎回感じるところです。

このときも昔のカーテンみたいな野暮ったいエンジ色のシャツで、しかも生地に少し光沢があるあたりは、まるで昭和のパジャマでも着ているみたいでした。
とりあえず、そこらのH&Mあたりで上下買ってきて着るだけでもよほど素敵になるような気が…。
とりわけジャズの世界ではスタイリッシュというのはとても大切な要素だろうと思われるので、この点はなんとか、もう少しオシャレというか彼の持ち味が引き立つようなビジュアルにされると、演奏の魅力もおおいにアップする気がします。

つい余計なことも書きましたが、全体を通じてなんとなく印象の良い演奏で、つい2度続けて見てしまいました。