ピレシュの影

NHKの早朝番組『クラシック倶楽部』は、再放送もかなりやるので、ああまたこれか…というのも少なくありません。

以前このブログにも書いたユッセン兄弟の東京公演をまたやっていたので、雑用を片付けながら流していると、前回見たとき以上に、師匠であるピレシュの影響がいっそう強く感じられていまさらですがびっくりしました。

音楽というのは不思議なもので、それに目を凝らし耳を澄ませて集中しなくちゃわからないことがある反面、却って距離をおいて、何かの傍らに聴いたり、車の中のような騒音の中で聴くことで、逆に何か本質みたいなものがスパッと見えてくることがあるもの。
今回はそのおかげでピレシュの色があまりにも強いことにいささか驚いたわけです。

偉大な現役ピアニストの弟子になるということは、そうそう誰にでもあることではないのか、そういう幸運があれば多くの学生はよろこんで師事するのかもしれませんが、この二人の演奏を見聞きしていると、影響を受けるというより、先生の弾き方をほとんどそのまま生徒に移し付けられたような気がしないでもありません。

腰の座らない小動物のような指の動き、ちょっとしたパッセージの奏し方まで、ピレシュそのものというような瞬間がしばしばあらわれ、言い方は悪いかもしれないけれど、この若者まるでピレシュの操り人形になっているようで危険を感じてしまいます。
人はそれぞれ異なる可能性を持っているはずなのに、兄弟揃って、こうした一つの方向だけに染め上げられるというのは、本人達が満足ならいいのかもしれませんが、見ている側はかなりの違和感がありました。
それが気になりだすと、もうそればかりに意識が向いて仕方ありませんでした。

指の動きはパタパタとしなやかさがなく、やけに手首を上下させ、せわしく小さく弾く感じ。
また、なめらかに歌い込む場面や、楽節のポイントとなる音のマーキングや表現の綾の部分などをあえて避けて、パサパサしたコンパクトな音楽にしてしまうのもピレシュの指導だろうと思います。
腹の中で拍をとるのではなく、手首から先でビートを刻み、しばしばイラついたような急激なクレッシェンドを多様するのは、聴いていて迫りというよりもただドキッとさせられるだけで、音楽にゆったり耳を預けられません。

以前、NHKのスーパーピアノレッスンだったか(番組名は忘れましたが)、ピレシュのレッスンの様子をやっていたことがありましたが、そこでのピレシュは、かなり頑なな教師という印象で、生徒の個性を尊重するというよりもやや独裁的で、自分の考えを強く主張し、生徒にすべて従わせるという印象でした。
彼女が言っていることは、尤もなこともむろんあるけれど、全体としては自分の考えでがんじがらめにする感じで、他者を指導するということは、もう少し個性尊重と多様性に対応する幅をとったほうがいいような気がします。

どうやらその印象は間違っていなかったようで、各人が持っている美点を上手く引っ張りだすというよりは、自分のコピーを作ってしまう先生だったようだと、この兄弟の演奏を聞きながら思いました。

それでも、むろんピレシュのほうが本家本元であるぶん風格はあるし主張も強いけれど、そのぶんユッセン兄弟のほうがいくらかノーマルに近いようであるのは多少なりとも救われる気分。

この兄弟、テクニックなどは現代の標準では弱いほうだと思うけれど、それでもなにかを持っていそうではあるし、今後はしだいに自分達らしさに目覚めて、確固たる道を見極め磨きがかかっていくことを期待したいところです。
彼らの活躍の幅が広まるほど、ピレシュの影は問題になるような気がします。