体格からくるもの

何事においても身体的条件というのはあるわけで、コンサートピアニストにもそれは該当すると思います。

先日のギャリック・オールソン、そのあとに聴いたロジェ・ムラロのラヴェル、いずれも大きなピアノが少し小さく見えるような大男でしたが、彼らの演奏から出てくる音のある部分には共通したものがあります。
それは大雑把に云うと体格による力が強すぎて、ピアノの音の最も美しい部分をはみ出してしまうというもの。

さらに言うと、やはりあまりに大柄な人は、やはりどこか繊細さに対する感性が違うのか、大きな背中を丸めて小さな刺繍のようなことをやっているみたいだったりで、どうもピントが合わず、聴いていてつまらないというか、おさまるところにおさまっていないものに接しているような違和感がつきまといます。

逆に、小兵ピアニストにも特徴があります。

あくまでマロニエ君の好みとしてですが、極端に小柄なピアニストも、見ていて心底いいなぁとおもえるような人はあまりいないし、いるかもしれませんが、少なくともパッと思いつくような名前はありません。

それは楽器に対するバランスの問題につきるのだと思います。あまりに小柄だとハンディを補強しようとしてきつい音になり、弾き方や音楽もやけに攻撃的になったり…。
そうそう、書きながら唯一思い出した、小柄でも認めざるをえないピアニストとしてはラローチャがいましたが、その彼女でも音の問題は例外とはならず、やはり鋭角的で多少叩きつけるようなところがありました。

彼女のお得意のスペイン物においては、作品が情熱的で奔放なのでそれがマッチして説得力を帯びることも少なくなかったけれど、ベートーヴェンやモーツァルト、ショパンなどになると、やっぱり彼女の音質やタッチが気になったものです。
とくにコンチェルトになると一層力むためか、叩き出すフォルテが連続し、ずいぶん昔の来日公演では皇帝を演奏中に弦を切るというハプニングもあったほど、手首から先を硬直したように固め、落下速度にものをいわせて叩くので、弦にかかるストレスも大きいのかもしれません。

また小柄な人は、いわば小さなメカニズムで音を出すためか、表現の自由度が狭まり、楽器を朗々と鳴らすことが難しいように思われます。全体への目配りが疎かになると、音楽もどうしてもせかせかした小さなものになります。

もちろん個人差や例外はあることはいうまでもありませんが。
それを承知で、マロニエ君の好みをあえて大別していうなら、身長170~180cm台前半ぐらいの、どちらかというと標準から少し痩せ型の体格をもった男性ピアニストの音を好んでいるような気がします。
女性でも音の美しい方はおられますが、身長はせめて160cm以上ないと、みずみずしい美音はなかなか出せないような気がするのですが、こんなことを書くと叱られそうな気もします。
あくまで一般的平均的な話として捉えていただけると幸いです。

ただ、いずれにしても小柄な女性(男性)がちょこんとコンサートグランドの前に座って、悲壮感を漂わせながら腕や頭をふりながら熱演するのは、聴いているほうまで苦しみを背負わされるような気になるので、できればあまり聴きたくありません。
これと同じように、ピアノが小さく見える大男による、フォルテのたびにピアノの大屋根がゆらゆら揺れるような演奏も好きではないのです。

これ、楽器のほうのピアノにもいいサイズというのがあるのと同じです。
コンサートグランドも280cm越えてしまうと、持て余し気味のゆるい楽器になるし、小さなグランドピアノは、小型犬のようにワンワンと吠えまくってうるさいのと似ている気がします。

もちろん、中にはスタインウェイのS型のように、そんな常識をまったく寄せ付けない例外もあるにはありますが…。
例外といえば、ラフマニノフは偉大なる例外のひとりなのかもしれませんね。