賛否両論あったけれど、中村紘子さんは日本のピアノ界ではともかくも大きな存在感を放つ方でした。
カラヤンや小澤征爾がそうであるように、とくに音楽に興味のない人でも、「中村紘子」という名前は大抵の人が知っている。こういう人は、そうざらにはいるものではありません。
中村さんの場合は日本国内限定ではあるけれど、その有名度は圧倒的で、今後はなかなかこういう人は現れそうにもありません。
近年、深刻なご病気をされたということは聞いていたけれど、先月の下旬、亡くなられたというニュースに接したときは、やはり胸がドキン!とするような衝撃がありました。
中村さんは、ピアノの腕前とか演奏そのものという以前に、とにかく華のある方で、なにかというと世間の注目を集めてしまう、生来のスターの要素を持った人だったと思います。
また彼女は戦後の高度経済成長という時代までも味方につけることができた、非常に恵まれていた方だったとも思います。
つい先日のことでしたが、NHKの追悼番組で『中村紘子さんの残したもの』という90分のドキュメンタリーが放送されましたが、お若いころのチャイコフスキーの協奏曲や英雄ポロネーズ、わずか数年前のサントリーホールでのバッハ、NHKのピアノのおけいこでの指導の様子など、いろいろな映像が紹介されました。
中でも最も興味をもって聴いたのは、中村さんが16歳のとき、N響初の海外公演のソリストとして抜擢され、公演先の一つであるロンドンで撮影されたショパンの1番を弾いたときのフィルムでした。
これまでにも、何度か部分的に見たことはあったけれど、今回は第一楽章がノーカットで放送されました。
残念なことに、ピントのずれたようなボケボケのモノクロ映像ですが、振袖姿の高校生だった中村さんは、堂々たるソリストを務めており、その瑞々しい演奏にはいろんな意味で驚かされました。
音楽的にも非常に真っ当で、後年のようなエグさのある特徴はどこにも見当たりません。
というか、ほとんど別人でした。
終始一貫しているし、テンポもよく、オーケストラとも調和しながら演奏が心地よくノッているのが印象的でした。
とくに全体が横の線で流れるように端然と弾き進められていくあたりは、どこかフランス的でもあり、これはもしかしたら安川加寿子さんの影響が当時の日本のピアノ界に色濃くあったのだろうか…等々、いろいろと想像しないではいられないものでした。
個人的に知る限りでは中村紘子さんのこれは最高の演奏ではないかと思います。
もしこのままの方向で成長していたら、あるいはどんなピアニストになったのだろうとも思いますが、ジュリアードに行ったこと、ホロヴィッツの魔性に魂を奪われたことなどが、なんらかの変化をもたらしたのかもしれません。
そういえば、むかしテレビでホロヴィッツの奏法を筑紫哲也氏や映画監督の篠田正浩氏を前に、ピアノを弾きながら解説していたこともありましたから、よほど熱狂的なファンで研究されていたのかもしれません。
彼女がプログラムに選ぶショパンの作品なども、どちらかというとホロヴィッツ好みのものが多かったりするのは、やはりかなりの影響があったのではと推察します。
中村さんのいない自宅が映し出されましたが、弾き手を失ったピアノが咲き乱れる花々の中でじっと喪に服しているようでした。
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それにしても、今年の春からこちら、ずいぶんといろんな方が亡くなりましたし、お若い方が多いことも目立ちました。
中村紘子さん以外にも、ぱっと思い出すだけでも、永六輔さん、大橋巨泉さん、蜷川幸雄さん、鳩山邦夫さん、千代の富士さんなど…。
自分自身の周りでも、直接間接いろいろと思いがけないお別れが次々に続いて気味が悪いほどでした。
今年の猛暑は例年になく厳しいものでもあるし、せいぜい身体に気をつけて、まじめに生きていかなくては…などと柄にもないことを思ったりしているこの頃です。