ピアノつきトーク?

コンサートに行かないという禁を自ら破ってあるコンサートにいったところ、とんでもない目に遭いました。

言い訳のようですが、コンサートといっても楽器店が開催するイベントの中に組み込まれたものだったので、ちょっとした余興のようなものだろうと軽く考えていたのがそもそもの間違いでした。

このコンサートを聴くことになった理由は、知人とそのイベントそのものを覗いてみようということになり、曜日と時間をすり合わせた結果がたまたまコンサートにぶつかるタイミングになったという、それだけのことでした。
楽器店に問い合わせると、その時間はコンサートを聴かない人は展示会場にも入れないし、いても退出させられるということで、やむを得ずチケットを買うことに。

その日に登場するピアニストは、これまでテレビで数回その演奏を見たことはあったけれど、興味ゼロ、できるだけ早く終わってくれればいいという気持ちでした。
そこそこ有名なピアニストであるし、チケットを購入して聴いたコンサートなのだから名前を出してもいいのでしょうが、あまりにも驚いたし、わざわざ名指しで批判する必要もないのでそこは敢えて書きません。

味わいも説得力もなにもない、感性の欠落した「美しくない演奏」が堂々と目の前で続いているということが、悪い夢でも見ているようで、そこにいる自分というものがなぜか哀れに思えました。
技術以外はシロウトと大差ないというのが率直な印象でしたが、それでもその技術のおかげで、どの曲も音符をさほど間違えることなく最後まで行くところがよけい始末に悪い。
というか、シロウトでも本当に音楽を愛する人の演奏には、どこかしらに聴くに値する瞬間があるものですが、そんなものはかけらもありません。
いっそテクニックがめちゃめちゃだとか、ミスやクラッシュが続出といった演奏ならまだ諦めもつきますが、表面的には「ちゃんと弾いた」ことになり、中には満足した人もいるのかもと思うと、そこがまさに音楽の中でまやかしがまかり通る部分ということになり、頭がクラクラしてきます。

皮肉ではなしに、ああいうものでも素直に楽しめる人というのは、素直に羨ましいとさえ思いました。
どうせ同じ時間を過ごすなら、楽しめるほうが絶対に幸福ですから。

繰り返しますが、このコンサートはイベントのオマケのようなものと考えていたところ、実際はトーク付きの2時間半にも迫ろうという長丁場で、その間、マロニエ君は久々にこの種の忍耐を味わうことに。
音楽は、まさに「音」の芸であるから、ひとたびそれが自分の感性に合わないものになったが最後、猛烈な苦痛となって神経に襲いかかり、ひいては身体までも攻撃するものになることをリアルに実感しました。

自分一人なら、間違いなく途中で席を立って帰っていたところですが、なにぶんにも連れがあったため、その人を道連れにすることも、置き去りにすることもできず、脂汗のにじむ思いで石のようになってひたすら耐えに耐えました。

さらに堪らなかったのは演奏ばかりではなく、このピアニストはよほど人前でのおしゃべりがお得意のようで、ほとんど内容のない超長ったらしいトークが最初から最後までびっしりと織り込まれて、こちらのほうがメインかと錯覚するほどでした。

実際、この方は話している内容はともかく、語り口は今風のソフト調で声も良く、お客さんに向かっていやに低姿勢かつフレンドリーに語りかけるあたりは、ピアノよりよほどなめらかで自在な表現力をお持ちのようでした。ほとんどマスコミ系の人のようで、いっそテレビ局にでもお勤めになったほうがしっくりくる感じです。

この日は、マロニエ君にとっての悪条件が幾重にも重なって、よほど強いストレスで脳が酸欠を起こしたのは確かで、苦しい生あくびが際限もなく続き、節々は傷み、呼吸が苦しくなり、両目は充血し、疲れ涙が目尻に溢れているのが自分でわかりました。

2日も経つと疲れも癒えてきて、モノマネが得意なマロニエ君は、すっかりこの方のトークをマスターしてしまっていて、すでに何人かには聞かせたところ、ずいぶん笑っていただきました。
というわけで、これほど疲労困憊してまでネタを仕込みに行ったというのがオチなのかもしれません。