もこもこ音

ユーラ・マルグリスは楽器にもかなり積極的な興味を示すピアニストで、シュタイングレーバーのピアノに弱音器を装着してシューベルトの作品などを入れたCDも出しており、このブログにも書いた記憶があります。

その第二弾ともいうべきCDがあって、そうとは知らず、アルゲリッチとのデュオがあるために購入してみたところ、よくみれば全10曲中、9曲までがマルグリスのソロで、デュオは最後のムソルグスキー:禿山の一夜(マルグリスによる2台ピアノ版)のみというものでした。

本来ならこんなCDの在り方は大いに憤慨するところですが、アルゲリッチは例外なので仕方ありません。
以前マルグリスが別府のアルゲリッチ音楽祭(たぶん第1回)に参加したときにも、この禿山の一夜を二人で演奏していますが、その後この曲のCDらしきものはなく、十数年経ってようやくそれが手に入ったことになります。

ところで、この弱音器付のシュタイングレーバーはシューベルトの時とおそらく同じ仕様で、よく見ればレーベルもシューベルトのときと同じOEHMS。
弦の下で待機する帯状のフェルトが、ピアニストの操作(たぶんペダル)によって打弦点まで移動し、それによりハンマーはフェルト越しに打弦することになるというもの。
かゆい背中を、直に手で掻くのか、服の上から掻くかの違いみたいなものでしょうか。

ライナーノートには、アルゲリッチがこのマルグリスの消音器がもたらす音の効果を賞賛している一文が、直筆のまま掲載されており、おそらく彼女もこのピアノを試してみたことが推察されます。「ピアノの色彩や能力が増した」というような意味のことが書かれているようです。
まあ、なんでもすぐに褒めまくるアルゲリッチのことですから、大いに社交辞令も入っているものと思いますが。

たしかにその効果は明確で、これを使った音はハッとするほどまろやかになり、このような劇的変化はこれまでの弱音ペダルではとても達成し得なかったものであることは間違いありません。
ただ、しかし、その差があまりに大きく、使用時と不使用時の落差が却って気になることも事実。

通常の弱音ペダルではハンマーの弦溝をわずかにずらすことで、伸びの良いやわらかなトーンを出すものですが、このマルグリスが弾くシュタイングレーバーは、それどころではない変化がONとOFFという感じで起こり、マロニエ君の耳にはある種の違和感が残ります。
もちろんチェンバロやオルガンのストップもそうではないかといわれれば、そうなのですが、慣れの問題もあってモダンピアノではこれだけ大きな音色の変化には聴き手の耳がついていけないのかもしれません。

とくにシュタイングレーバーは弾きこまれると、かなり生粋のドイツピアノといった風情でエッジの立った音がするので、そこへいきなりフェルトが差し込まれることで、唐突にこもった音になったようにしか聞こえないのです。

マルグリスのソロではこのシュタイングレーバーが使われますが、最後のアルゲリッチとのデュオではあっさりスタインウェイになっていて、データによると録音はいずれも2014年のルガーノ音楽祭でのもの。
アルゲリッチもそんなに褒めそやすなら自分も弾けばいいのにと思いますが、どこまで本心かもわからないし、アーティストとピアノメーカーの関係、その他諸々の制約や契約上の縛りもあって、事はそう簡単ではないのかもしれませんが。

おそらく会場や録音環境も似ていると思われますが、一枚のCDでシュタイングレーバーからスタインウェイにかわると、思った以上にぜんぜん違った世界が広がります。
シュタイングレーバーは言うまでもなく素晴らしい第一級のピアノですが、生まれもった個性がまったく異なるため、続けて聴いていると喩えは悪いかもしれませんが、まるで田舎から都会に戻ってきたような感覚でした。
スタインウェイはやはり洗練された美しいトーンで、慣れの問題もあるのでしょうが、これが鳴り出すとやっぱりホッとするような気になってしまうのも偽らざるところです。

いつだったか、2台ピアノで違う楽器を使うことでブレンドの面白みがあるというようなことを書きましたが、その点で云うと、いっそシュタイングレーバーとスタインウェイを組み合わせるとどうなるのか、いっそそれで弾いて欲しかった気がします。
きっとかなり面白いものになるような気がします。