モスクワ音楽院

新聞のテレビ欄を見ていると、ふと「~モスクワ」という文字が目に止まりました。

『世界ふれあい街歩き』という番組で、モスクワ市街を周遊するものがあって、なんとなく録画しておきました。
行ったことのある人はともかく、普通はモスクワというと目にできる光景は大抵クレムリンや赤の広場などで、それ以外の街の様子がどうなっているか知らないし、ほとんど見たことがない。

最近は、動画サイトで車載カメラによる衝突映像などからロシアの一般的な風景も昔より目にするチャンスが増えましたが、それらはいずれもロシアならではのいかにも荒っぽい事故やトラックが衝突横転する様子などで、こちらもついそれにばかり気を取られつつ、全体的な印象としてはまあとにかくどこもかしこもやたら広くて、こう言ってはなんですが街中でもあまりきれいとは言いかねる荒涼とした風景が広がっているという印象です。

それでも、モスクワはなにしろあの大国ロシアの首都であるし、NHKのカメラがきちんと撮影したらいったいどういう街なのか、素朴な興味がありました。

果たして、ソ連が崩壊して四半世紀が経ったモスクワの町並みというのは、昔を知っているわけではないけれど、その頃からあまり変わっていないように見えたし、かなり地味で寂しげな街という印象で、そういう意味では少々驚きました。
改革開放以来のすさまじい発展を繰り返す中国の都市とは、まるきり対照的。

おもしろかったのは、マロニエ君にとってはやはり音楽関連で、なんとモスクワ音楽院がでてきたシーンでした。

道端の公園のようなところにチャイコフスキーの銅像があり、その下のベンチで4人の若い男女がしゃべっています。
カメラが近づいて声がけすると、彼らは傍らにある音楽院の生徒で、ピアノの練習をするため、教室が空くのを待っているところだといいます。

番組も彼らについていくことになり、威厳ある建物の、しかしずいぶんと小さなドアから中に入ると石造りの階段があって、そこを登って行くと、ずんずんと音楽院の内部へと潜入していきます。

モスクワ音楽院といえばチャイコフスキー・コンクールの本選会場であるばかりでなく、あの有名な大ホールでは、これまでいったいどれだけの名演が繰り広げられ、世界のコンサート史の一端を担っている重要な場所であるかを思うと、さすがにこの時はドキドキしました。

小ホールの入口というところでは、偉大な卒業としてラフマニノフなどの名を刻したプレートがズラリと並んでいたりと、やはりずっしり重い歴史が幾重にも刻まれていることを感じます。
教室に入ってみると、まったくさりげなくポンと新しめのスタインウェイDが置かれていて、ここにはそんな部屋がいくらでもありそうでした。これを生徒は自由に使えるのだそうで、ピアノは2台の部屋も3台の部屋もあるよね…などと軽く言っています。さっきの生徒ひとりがさっそくピアノの前に座り、弾き始めたのはさすがはロシア、バラキレフのイスラメイでした。
ピアノの音は酷使のせいかビラビラでしたが、でもなんかやっぱりすごい。

彼らが言うには、自分だけでは常に客観的に聴けるわけではないから互いに助言を頼むのだそうで、友人の意見が必要とのこと。至極もっともな意見ですがそんな当たり前のことに、ドキッとさせられる記憶が蘇りました。
それは、日本のトップとされる音大を出たピアニストが言っていたことで、(日本の)音大で最も嫌われることは「人の演奏に意見をいうこと」なんだそうで、だからそれは互いにタブーとされているという、とーってもヘンな現実です。さらには自分の好きなピアニストの名さえも言わないようにする(相手がそのピアニストを好きではなかった場合のことを考えて気を遣う)というのですから、その遠慮の度合には呆れてしまいます。

日本人の演奏能力がどれだけ上がっても、彼我の違いはこういう根本的なところにあるのだなあと思わずにはいられない一場面でした。

モスクワ音楽院で個人的には最も驚いたのは、廊下に長大なコンサートグランドが足を外された状態で、無造作に立てかけられたりしていることでした。それも場所によってはサンドイッチみたいに2台重ねてしかも前後にも2列、計4台がまるでただの大きな荷物みたいにゴロゴロ置かれているなど、「うひゃー」な光景でした。

ビデオで録画していたので、繰り返し注意深く見てみると支柱の形状やサウンドベルの位置から、それらはスタインウェイDであることが判明。また別の場所にはブリュートナーのフルコンが同じように立てかけられていたりと、やはりここはとてつもない所だと興味津々で、なんだかわくわくして胸が踊りました。
こんなところ思うさま探検できたら、どんなに楽しいことか…。