ハルラー

先日、知人ととりとめもない雑談をしている中で、たまたま作家の話になり、「…村上春樹とか読まれますか?」とやや慎重な調子で質問されました。

こんなとき、普通なら相手の反応を見ながら徐々に答えを探るものかもしれませんが、「いいえ、まったく!」とむしろキッパリと答えてしまいました。
マロニエ君は村上氏の著作は一冊も持っていませんし、数年前、かなり話題になったときに本屋で30分ぐらい立ち読みしてみて、まったく自分の求める世界でなかったし、いらい手にしたこともなかったからです。

するとその方は「ああよかった、私も読まないです。」と言い、さらに「むしろあの人の作品を好きな人も苦手です。」ということで、どうやらそのあたりが一致しているらしいことに、お互いに安堵した感じになりました。

ところが、これに端を発して、話は思いもかけないような方向へと向かって行きました。
会話調は面倒臭いので省略しますが、主に以下のようなものでした。

村上春樹氏の熱心なファンは「ハルラー」と呼ばれ、さらにその中の、若い世代の中には、いまさらスターバックスが大好きだったりする人達がいるようですが、これだけではなんのことだかさっぱりわかりませんよね。

その人達はコーヒーといえばスターバックスで、それはシアトルズコーヒーでもタリーズでもダメなんだそうで、スタバを一種のブランドとして捉えているのかもしれません。

知人曰く、スタバの客層の中には「ハルラー」もしくは、そのご同類が確実に存在するようで、ときに医大生や若い医療関係者である率がかなり高く、スタバをいうなれば自己アピールの場として利用しているというのです。

ハルラーはスタバの混みあった店内の、あの喧騒の中で、わざと人に聞かせるための語句を混ぜ込んだ会話をし、自分達が医療関係もしくはその他社会的エリートに属する人種であることを周囲にことさらアピールするといいます。
それには小道具も必要で、テーブルの上に置かれるのは医学書などの専門書、難解な哲学書、あるいはビーエムやレクサスなどのキーホルダーをマークが見えるように上を向けて置いたり、ときに指でくるくる回すなどして自己主張を展開するというのです。
俄には信じがたいようですが、持ち物や言動によって自分達はエリートだよという信号を送っているわけでしょうし、じっさいそれで寄ってくる側の人間もいるというのですから驚きです。

世の中にはそんな手合はいるとしても、ごく少数では?と問い返しますが、「とても多いです!」という断固たる自信に満ちた答えが返ってきて、嘘をいうような人ではないだけに衝撃的でした。

その中でも、とりわけ自信がある人達は、外のテラス席に陣取って、思い思いの自己アピールをするのだそうで、彼らの手には最新のアップル製品などと並んで、村上作品が重要な位置を占めているらしいのです。
とりわけ新しいものは価値が高いようで、Macも村上作品も新作発売日にスタバにいけば、そこには必ずと言っていいほどそれを手にした人達がいて、「家に帰る時間が待てずに、今ここで読んでいるところ」という表現になっているのだとか。

そもそも何のためにそんなご苦労なことをやっているのかというと、そういう特別感を醸しだすことで男女の出会いもあれば、自称エリート達はこういう場を使って「お仲間」を探しているのだとか。
もちろん周囲に対する単なる見せつけで楽しんでいる一面もあるのでしょう。
では、何をするための仲間?と思いますが、自分達はケチな一般庶民とは違うのだから、同種で群れたいという意識もあるらしく、お互いに声をかけたいかけられたいという欲望が渦巻いているというのです。

もともとマロニエ君はその手の価値観をもった種族にはひときわ嫌悪感があって、本来なら一歩も近づきたくはありませんが、しかしそこまで突き抜けているのなら怖いもの見たさというか、一見の価値ありというわけで、ちょっと見てみたくもなりました。

とくに繁華街の中にある店舗ではそれが甚だしいようで、実はマロニエ君はそこに何度も行ったことがあるのに、一向にそんな気配には気づかず、ただ馬鹿正直に紙コップ入りの熱いコーヒーを飲むばかりで終わっていました。何たる不覚。
自称ヤジウマとしては、機会があればぜひそのあたりを観察してみたいと楽しみにしています。