グリゴリー・ソコロフは「知る人ぞ知る、現役世界最高のピアニスト」というような評価の下、一部には熱狂的なファンが多いようで、並のピアニストでは満足できない音楽通の人達の間で支持されているとか。
あまり知らない頃は(今も知っているとは言い難いけれど)、そんなにすごい人がいるのか…という感じで、ちょっとYouTubeで見てみたり、10枚組ぐらいのCDを購入するなどしてしばらく聴いたりしていたものでした。
ある意味、往年のロシア型大ピアニストの生き残り的な印象でもありました。
どれを聴いても、絶対に沈まない大船に乗っているようで、なるほどとは思ったし、その独特なパフォーマンスには納得させられてしまう風圧のようなものがあり、これぞまさしく大物というところでしょう。
一部の評価はあるていど納得できましたが、ではそれで衝撃を受けて自分もファンになりCDを買いまくったかというと、総じてマロニエ君の趣味ではないためかそこまでの熱気は帯びませんでした。
そのソコロフのDVDをたまたまネットショッピングで目にしたので、一度ちゃんとしたかたちで視聴してみようというわけで購入しました。
パリ・シャトレ座の暗い舞台にスタインウェイがポンと置かれ、これから始まるリサイタルのソリストというより、ただの通行人みたいな足取りでそそくさと現れたソコロフは、まずベートーヴェンのソナタ(No,9/10/15)を立て続けに弾きました。
視覚的に驚いたのは、やはりその圧倒的なテクニックと、完全というか異様なまでに脱力しきった指さばき。
さらに肩から腕全体を大きく使うあたりは鳥の翼のようでしなやかではあるけれど、あまりにもいちいちがその動作になるのは、そこまでする必要があるのかという疑問を感じたり…。
腕の上げ下げの度に演奏上の呼吸が入り、個人的にはそれなしで進んで欲しいような箇所もたくさんありました。
そうはいっても、強靭なフォルテ、対して弱音域ではこれ以上ないという柔らかな音でいかようにも語る術をもっているのは、これだけでも聴く価値があると思います。
さらに印象的だったのは、どの曲に対しても精神的集中がものすごく、終始全身全霊を打ち込んで身をすり減らさんばかりに演奏する姿でした。演奏家がこれだけ自分のエネルギーを惜しげなく投入して演奏しているという姿には圧倒されるものがありました。
いまどきのサラサラと無機質な、疲れの少なそうな演奏でお茶を濁す中途半端なピアニストが多い中、このソコロフの演奏にかける熱を帯びたような姿勢というものは、まずそれだけでも大変尊いものだと感じずにはいられません。
ステージマナーも独特で、最後のプロコフィエフのソナタが終わって万雷の拍手が起こっても、アンコールを弾いても、何度カーテンコールが続こうとも、表情は一貫してブスッと不機嫌そのもの。
一瞬の微笑みもないのは無愛想というより、ここまで徹するのはむしろご立派というべきでしょうし、そこがまた聴衆にも媚びない孤高のピアニストといった風情に映るのでしょう。
ただ、敢えて書かせていただくと、音楽的にはやはりマロニエ君の好みではないところが多々あって、美しい音楽を聴く楽しみというより、ソコロフという異色のスーパーピアニストの妙技を拝聴するという感じで、まさに彼の紡ぎだす世界に同席するという感覚でした。
気になるのは、あまたのフレーズや楽節ごとに深く大きな呼吸の刻みがあって、せっかくの音楽がいつも息継ぎばかりしているような感じを受けたことで、聴いていて次第に少し疲れてくるのも事実です。
それと、音楽的な表情というか語り口はわりにワンパターンのように感じたのも事実で、その点ではアンコールで弾いたクープランの二曲はとても好きだったし、バッハも素晴らしく、あまり直接的な表情を求められない作品のほうが向いているような気もしました。
ベートーヴェンもプロコフィエフも個人的好みでいうと大きく構えすぎて却って作品が聴こえてこない気がするし、ショパンもちょっと感性が合っていない気がします。
でも、こういう人が玄人受けするというのはよくわかりました。
音楽的に好きでも嫌いでも、とにかくすごいものに触れているという特別な感じがあるのは事実です。