眩しい才能

先日の『情熱大陸』では新進ピアニストの反田恭平が採り上げられました。
いつも見る番組ではないのに、新聞のテレビ欄を眺めていると「ピアニスト」「反田恭平」という文字が運良く目にとまり、録画しておいたものです。

反田氏はマロニエ君もそれなりに注目しているピアニストで、以前このブログにも書いたことがありますが、なによりその逞しいテクニックと直感、びくびくしない弾きっぷりが特徴だと思います。

ピアニストとしてのアスリート的な部分も大きな魅力で、ユジャ・ワンと同系統といえるかもしれません。
番組では、反田氏は自らを「サムライ」と称し、だから長い髪を武士の惣髪に重ねているのかとも思いつつ、番組を見ながらこれまでのピアニストとは少しばかり様子のちがう、良い意味での孤独性さえ感じました。

有名なヴォスクレセンスキー教授が来日の折に反田氏の演奏を聴き、その勧めによってモスクワ音楽院に留学して2年が経つようでした。
ところが父親の猛反対もあったらしく、この2年間は奨学金生としてモスクワで学んでいるといい、その奨学金支給も今月で終わり、来月からは「実費」というシーンがあり、反田氏としては早く自立したいという考えを抱いているようでした。

帰国しても、明るく歓迎する母親とは対照的に、ピアノに反対している父とはほとんど会話もありません。

多くのピアノ学習者と違って、反田氏はまわりの誰でもない、自分がピアノを弾いて世に立っていきたいという強い情熱があり、この父との対立も彼の前に立ちはだかる大きな障害のようにも見えます。
結局、彼はモスクワ音楽院で学び続けることを断念し、そのぶんより挑戦的にピアニストとしての活動を強めていく覚悟を決めているように見えました。

恋愛でも、むかしは本物の大恋愛が存在したのは、現代では考えられないような困難が幾重にも存在したからで、そういう壁を打破し乗り越えようとするときに、人間は尋常ならざる力が湧き上がってくるのではないかと思います。
その点では、周囲から褒められ良好な環境をいくらでも与えられる人より、反田氏のようなある意味逆境にいる人のほうが、よじ登っていこうとする精神的な強みがあり、大成できる可能性も高いと感じました。
むろん相応の才能があっての話ではありますが。

この番組の中で、ひときわマロニエ君が注目し、納得したシーンがありました。
イタリアのホールでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をレコーディングすべく、会場に現われた反田氏は、ステージに据えられた新しいスタインウェイを触るなり、これが気に入らないようでした。
「ピアノが寝ている」「きれいすぎる」といい、舞台の裏部屋のようなところにある古くて誰も弾かなくなったというスタインウェイを弾いてみて、こちらを所望しました。

1970年代のピアノで、もうだれも弾くことはないとばかりに奥まったところに置かれていましたが、何人ものスタッフによってステージへと押し出され、ステージで弾いてみてこのピアノを使うことを迷いなく決定。
なぜこちらのピアノを選んだのかという質問に、「直感」と短く答えたあと「こっちのピアノのほうが自分の引出しをいろいろ使えそうだから」というようなことを言っていました。

テレビのスピーカー越しにも、こちらのピアノのほうが音にばらつきがあり、伸びがなかったり、悪く言うとくたびれた感があるものの、新しいピアノにはない渋い味わいがあるようです。
おそらくこのピアノの欠点については反田氏は自分の演奏によってカバーできるという自信があったのでしょうし、それよりも一番大事なことは何かということを見誤らない、お若いのにずいぶんもののわかった青年じゃないかと思いました。

前述の奨学金のことなどもあり、ここで独り立ちしたい反田氏にとっては、この録音はとりわけ勝負をかけるものだったに違いありません。
そこで弾くピアノが、どのキーをどんなふうに弾いても「パァーン」と小奇麗な音が出るだけの新しいピアノでは、自分の思い描くような勝負はできないと直感的に感じたのかもしれません。

日本では、ホロヴィッツが弾いていたという古いスタインウェイをコンサートやレコーディングにも使った経験がある反田氏なので、楽器に対する感性も鍛えられ、それらの経験も見事に生かされているのだろうと思いました。

ピアニストはつべこべいわず、会場にあるピアノに即応して弾かなくてはならないという宿命を負っていますが、誰も彼もがおろしたてのような新しいスタインウェイこそがベストだと思い込んでいるような現状には日頃から疑問を感じます。
楽器に対してなんという無定見かと嘆きにも似た気分でしたので、反田氏のこの反応と選択には見ているこちらまで溜飲の下がる思いでした。

モスクワでの師匠であるヴォスクレセンスキー教授がさすがだと思ったのは、「彼には爆発的な気質がある」などと高く認めながらも「でも、単調なテンポの曲を表現するのはまだまだだね」と評した点で、マロニエ君もいつだったかNHKの番組で反田氏の雨だれを聴いたときは、まさに「まだまだ」だと思いました。
しかし、久々にこれからが楽しみになるような眩しい才能が日本から出たことを嬉しく思います。