精神的事故

悪気がない、気がつかない、無知といったものは、ときにちょっとした悪意より、はるかに悪い結果を招き寄せることがあるものです。

なぜなら、相手は悪いことをしているつもりがまったくないのだから、その点においては遠慮も躊躇も働きません。
わかってない故に容赦なく限度なく、とめどなくそれは続きます。

先日こんなことがありました。
やむなきお付き合いから、とあるコンサートに行くことになり、親しい某女史と友人とマロニエ君の3人で車で赴くことになりました。
某女史は天真爛漫、その人間的魅力もあってか人望も篤く、多くのコンサートや音楽祭なども手掛けておられます。

コンサートは隣県の一風変わった場所で行われるので、マロニエ君が車で某女史と友人を乗せて行くことが早くから決まっていました。
大半は高速道路ですが、前後を含めるとそれでも片道1時間以上かかります。
コンサートの前日、出発時間などを打ち合わせようと某女史に電話をしたところ、この段階で驚くべき内容を知ることに。

なんと、明日は某女史の知人という人物がもうひとり一緒に乗っていくことになったというのです。
マロニエ君にしてみれば、予定の3人は昔からよく知る間柄なのですが、新たに加わったひとりは一面識もない方なので、このひとりの登場によってこちらにとっての空気はガラリと変わりますが、ご当人は至ってあっけらかんとしたご様子。
さらにこの電話でわかったことは、帰りはこの日の出演者の4人のうちの2人を乗せて帰るのだそうで、車の所有者であるマロニエ君にひとことの相談もないまま、そういうことが決められているという事実に、はじめは頭がグラグラしそうでした。

この文章をお読みの方は、某女史が非常識で自己中で図々しい人物と思われることでしょう。
ところがそうではなく、この方というのが珍しいほどの天然の方で、そこには悪気どころか、マロニエ君への無礼の意識も全く無いことは、長年の付き合いでよく知っています。知っているからこそ、ただ憤慨することもできず、某女史なら仕方ないか…と思い直して迎えに行きました。

ところが、そこからが本当の苦痛の始まりでした。
某女史とその知人(こちらも音楽関係らしい女性)は後部座席に乗り込み、マロニエ君がハンドルを握り、友人が助手席という配置でスタートしたのですが、駐車場を出る頃から後ろではぺちゃくちゃとおしゃべりが始まっています。
この段階で、いやな予感はしていたのですが、その二人のおしゃべりは時間が経つにつれますます熱を帯び、ついには目的地に就くまでの一時間以上、延々と続きました。

通常なら個人の車に乗る際には、それなりの常識や振るまいというものがあり、まず車の所有者に相談もなしに、第三者を乗せるか否かを決定する権利はまったくないし、よしんば相談され応諾したにしても、乗用車の車内というのは、狭くて閉鎖された密室であるわけで、車中ではそれなりの配慮が求められるのは当然でしょう。
長距離なら、なおさらのことです。

車内の会話はほぼ全員が参加できるよう、互いがそれなりに気を遣い合うのは当然のはず。リアシートのふたりだけが、自分達だけの会話に1時間以上興じるなどとは、およそ信じられないことでした。
ましてそのうちのひとりは、ついさっき「はじめまして」と挨拶した初対面の人間で、タクシーならともかく、個人の車ではありえないことです。

友人もこの状況を察したようで、はじめは仕方なく何度かこちらに話しかけていましたが、後ろの二人だけで繰り広げられる猛烈な会話に圧倒されて、しまいにはほとんど口を利かなくなりました。

…演奏は素晴らしかったけれど、とにかく疲れてクタクタだったし、おまけに終演後は立食の食事会が待ち構えていました。
明日は福岡市でコンサートがあるからという理由で演奏者の二人を乗せて早めに帰るはずだったのが、このご両人がまたなかなか帰ろうとはしません。
そのころマロニエ君はもう心身ともに相当限界に近づいていることが自分でわかりましたが、この状況では一人で帰る自由もないわけで、この何から何まで納得していない状況に耐え難い苦痛を感じました。

結局、キリがないので少しせっつくなどして帰途についたのは夜の11時頃で、演奏者の大きな旅行かばん2つをトランクに押し込み、5人乗ってようやく出発。ところがこんどは、その演奏者のひとりが外国人であったため、リアシートではワイワイと英語ばかり。
このとき、ほとんど切れてしまっていたマロニエ君の心の最後の糸がぷつんと切れました。

もはや、だれであろうと、いい人であろうと、お世話になった人であろうと、悪気があろうがなかろうが、関係ない。
いま自分が置かれている状況がたまらなくイヤになり、よくわからない限界点をついに超え、それから一切周囲との会話を遮断しました。マロニエ君の徹底した沈黙は車内でしだいに目立ってきたのか、かなり奇異に映ったとは思うけれど、それを取り繕う意欲もエネルギーもありません。
ひたすら安全運転にのみ全神経を集中し、まずはホテル、某女史宅、友人宅とまさに宅配便のように送ってまわって、ともかく無事に帰宅しました。これは誰一人悪意はないところに発生した精神的事故だったと思うより他ありません。