先生の趣味?

『題名のない音楽会』で反田恭平がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章を演奏しました。

以前も書いたように、来月にはイタリアでレコーディングした同曲のCDが発売されるというタイミングでもあり、反田氏にとっていま最も力を入れ弾き込んだ1曲だろうと思います。

大いに期待して聴きましたが、しっかりとした見事な演奏ではあったけれど、どこか以前のような、精緻な演奏の奥底に光る本能的な生々しさが減って、より注意深く多くを語ろうと意識して、慎重に弾いている感じを受けました。

演奏中、反田氏はモスクワ音楽院でこの曲を、ラフマニノフの得意とする先生から猛特訓を受けたというような字幕が出ましたが、先日の『情熱大陸』では、ヴォスクレセンスキー教授にこの曲のレッスンを受けているシーンがあったので、それが彼のことなのか、あるいはまた別の先生なのか、そのあたりのことはよくわかりませんが、要するにかなり人の意見の入った演奏であるようにマロニエ君の耳には聴こえたことは事実でした。

パーツパーツで聴いてみると、たしかによく練られていているなとは思うけれど、反田氏の最大の魅力であるはずの作品を一刀両断にする鮮烈さや、内側から滲み出る熱いパッションがやや細くなり、少し普通のピアニスト風に、効果を周到に寄せてきたように感じてしまった点は甚だ残念でした。

反田氏にアドバイスしたのが誰であるかはどうでもいいけれど、アドバイスという範囲を超えて、演奏者の個性より指導者の音楽的趣味が前に出すぎているとしたら、それは指導というより干渉ではないかと思うし、聴いていて、他者による注文を盛り込めるだけ盛り込んだような窮屈さを感じました。

一過性の音楽に、あまりに多くを語ろうとすると、細かな聴きどころは増えるかもしれませんが、推進力や燃焼感が薄れるのは考えものです。

反田氏が本心から、ああいう演奏をしたかったのだとはマロニエ君は思えなかったし、その点ではあれは彼の本音の演奏ではないだろうと勝手に受け取りました。
マロニエ君としては、この先、彼がそのあたりの制限から本当に開放された時、さて本物の芸術的な演奏がそこにあらわれるか、あるいはただの恣意的な独りよがりな表現に留まるのか、そこは今後も注視していきたいところです。

ピアノはイタリアでの同曲のレコーディングのときのように古いピアノが使われることも、あるいは反田氏が東京でしばしば弾いているホロヴィッツのピアノでもなく、会場備え付けの普通のスタインウェイだったことはすこし残念でしたが、まあそのあたりはいろいろな事情も絡んでいるでしょうから、そういつも思い通りにはできないでしょう。

それにしても、反田氏のやや大きくて伸びやかな手は見ているだけでも魅力的です。
とくに左サイドのカメラがとらえた左手はことのほか美しいもので、この手を見ただけで、反田氏がピアノを弾くことは運命づけられていたことだということを諒解せずにはいられません。