目覚めの変化

先日、知人でニューヨークスタインウェイをお持ちの方のお宅へ、ピアノ好きの方と連れ立って遊びに行きました。

ここのピアノに触らせていただくのは久ぶりですが、その太い鳴りや味わいに感心するばかり。
音にも色気みたいなものが加わって、音楽に理解あるオーナーのもとにあるピアノは、ふれるたびに色艶が増していくようで、逆の場合は楽器が少しずつ荒れていく感じがします。
そういう意味では楽器を活かすも殺すも、やはりオーナー次第ということになるようです。

日々大切にするのも、良い設置環境を作って維持するのも、優秀な技術者を呼ぶのも、すべてはオーナーの意志で決まることですから、やはりそこは大きいというか、すべてです。

よく鳴るニューヨークには、独特の生命感があり楽器が直に語りかけてくれるような温かさを感じます。
このピアノ、以前であれが30分も弾いていると、ボディの木や金属が振動に馴れるのか、明らかに鳴ってきて驚きと興奮を覚えたものですが、今回はその変化に至る時間が短縮され、ものの15分もすると早くも鳴り方が変わってきました。
もちろん、より朗々と鳴ってくるわけで、この反応そのものがすごいと思いました。
まるで寝起きの身体が、だんだんと本来の活気を帯び、血が巡り、体温が上がってくるようです。

ハンブルクでここまで明確に変わるというのはあまり知らないので、アメリカ製とドイツ製の作りの違いや使われる材料の違いによるものかもしれませんが、確かなことは素人にはわかりません。
ただ一点わかる違いは塗装。

1980年代ぐらいまでのハンブルクは黒の艶消し塗装が標準でしたが、それ以降はすべて艶出し塗装となりました。
この艶出し塗装というのがかなり分厚い塗装で、いつだったかエッジ部分が何かにぶつかって塗装が欠けているピアノを見たことがありますが、その塗膜のぶ厚さに驚いた記憶があります。
まるで固いプラスチックでピアノ全体がコーティングされているようで、これでは本来の響きを大いに阻害するだろうと思ったものです。

その点、艶消しのほうが塗装がまだ柔らかだったような印象があるし、さらにニューヨークのそれはむしろ薄さにもこだわっていると聞きます。表面はヘアライン仕上げという繊細かつ節度ある半光沢をもつ処理で、この塗装は見た目は繊細で美しいけれど、傷がつきやすく、部分修復がしにくいという扱いづらさがあり、実際アメリカのホールなどでは、全身キズキズの斬られの与三郎みたいなピアノがめずらしくありません。

でも、それさえ気にしなければ、そのぶんボディの響きなどをよく伝える特性があるようで、好ましい個体では音の伸びがよく、明るく軽やかなトーンが湧き出るようです。

それと今回も実感したことは、すでに何度も書いたことですが、スタインウェイは弾いている本人より、離れて聴いてみるとまるで別のピアノのように音がたっぷりとした美しさで耳に届くのが圧倒的で、やっぱりまたそこに感嘆させられました。

その点、日本のピアノでは、離れてもとくに変化しないならいいほうで、むしろ高級仕様と謳われるモデルの中には、弾いているぶんには尤もらしく取り澄ましたような音が出ているのに、ちょっと距離を置くと、えっ?というほど安っぽい下品な音であることにびっくりすることが…よくあります。

これなどは、まさに弾いている本人だけ気持ちよければいい系のピアノで、スタインウェイとは真逆のピアノだといえるでしょう。ならば自宅で楽しむぶんにはこちらのほうが向いているという理屈も成り立ちそうですが、やはり楽器たるものそれではなにか大事なものが間違っている気がします。