これも権力

いま話題騒然のお隣の国の大統領の親友やとりまき達が、権力を私的に乱用したスキャンダルが連日ニュースやワイドショーを賑わせていますが、ふとピアノの業界にも権力の乱用はあることを思い出しました。

業界のある方から聞いたおかしな話です。

ひょんなことからピアノ教師の話になり、某地域の重鎮といわれるような有名な先生がおられて、その先生のピアノの修理(具体的な内容は控えます)を依頼されたときのこと。
その修理をするには、パーツの代金と手間賃がこれこれしかじかという事を伝えると、なんとその重鎮の先生は、あからまさに豆鉄砲をくったような変な表情をされたというのです。

それはこうです。事前に修理代を告げられたということは、この作業がサービスではないということを意味したわけで、それがこの先生の甚だ身勝手なプライドが傷つけられたというのですから、もう笑うに笑えない話です。

当人にしてみれば、ちょっとばかり名の知れた教師であるから、自分と懇意にすることはいろいろメリットもある筈ということなのか、その先生所有のピアノに関することは無料サービスが当然のはず…という感覚になっているのだと思われます。

この手の先生たちにとって良い調律師さんというのは、調律の腕は普通でいいから、それよりは先生サイドに都合のいいように何かと便宜を図ってくれて、腰が低く、まるで秘書か召使いのように気を利かせて動きまわってくれる、コマネズミのような人なんでしょう。
調律を口実に、プラスしてその他の雑用をどれだけ忖度して、しかも「タダで提供」してくれるかがポイント。

コンサートや発表会ともなると、楽器店の営業の人などは当然のように動員され、あらゆる雑用、果てはお客さんの整理誘導から駐車場の係り、どうかすると司会などまでやらされている調律師さんもあるわけで、それはつまり、調律以外はお金の取れないお手伝いに一日を費やすことになるわけで、これほど相手をバカにした話もありません。

そして上記のように技術者として規定の料金を請求することさえまかりならず、それを自ら察しない調律師には以降お声はかからなくなるという理不尽かつばかばかしい世界。
その方はかなりの腕を持った調律師さんなのですが、そんなことはその先生にしてみればどうでもいいことで、もっぱら自分を特別待遇にしなかったことが何にもまして許せないのでしょう。

調律師でも、ピアニストでも、あるいは教師でも、プロなのであれば、その本分における能力とか結果によって評価されるのが本来であるのに、これでは力関係に付け込んだ「たかりの構造」が体質化している言わざるをえません。
程度の差こそあれ、上下左右、まわりの先生がみなやっているから、自分もそういうもんだと思い込んでいる先生もおられるとは思いますが、少しは自分の頭でものを考え、良識に基づいて判断してほしいものです。
まさにゴミみたいな権力の濫用で、見るたび聞くたびとても嫌な気分に襲われます。

現代では、最もコストが高いとされるのが人件費です。
それを、先生やピアニストを名乗るだけで、事実上お金を出すのは年に数回の調律代ぐらい。生徒や知人の紹介を匂わせて人をタダでこき使うのが常態化するのは、大手スーパーなどがメーカーの社員を出向させ、店頭で販売行為などをさせて自前の店員数を減らすような悪辣な行為だということを肝に銘じるべきでしょう。

企業レベルまでいけば、発覚すれば法的処罰や行政指導の対象にもなりますが、たかだかピアノの先生ではそんな社会的制裁を受けることもないでしょうから、ある意味この業界特有の、治る見込みの無い慢性病みたいなものかもしれません。