直感

以前このブログに、反田恭平氏がイタリアでラフマニノフのピアノ協奏曲を録音する様子がTV『情熱大陸』で放送された時のことを書きました。

それからおよそひと月、このCDが商品となり店頭に並ぶ季節になりました。
今どき国内盤で税込み3,240円/枚というのは高いけれど、このCDだけは購入しようと心に決めていました。

なにしろ準備されたピッカピカのスタインウェイの音がきれいすぎると気に入らず、ホールの片隅に置かれてた古びたピアノ(こちらもスタインウェイ)を弾いてみて、こっちのほうがいい、こっちにしますといって、その古いピアノで弾いたCDですから、これはもうぜひ往年のピアノの豊かな音を聴けるだろうと期待していました。

反田氏は、やはりCD店も現在イチオシの日本人ピアニストのようで、この新譜のことが大書され、ヘッドホンでの試聴も可能になっています。
で、買うつもりだけれども、せっかく聴けるのならととりあえず聴いてみようと思ってヘッドホンを当てて再生ボタンを押すと、この協奏曲の出だしで特徴的な低音のFの音がよく鳴っていないことに、あれ?と思いました。そして、同じ音が何度も繰り返されるうちに、これはおそらくピアノが鳴っていないと思われて愕然としました。

このイントロ部分が終わってハ短調の第一主題に入っても、ピアノの音にはパワーがなく、しけったような音。
「これはちょっと…」と思いながらしばらく聴き続けましたが、ピアノが問題なのは自分の印象としては確定的となり、これは旧き佳き時代のピアノというよりは、単に古くて鳴らなくなったピアノという感じでした。
おそらくホールでの第一線を退いたため、弦やハンマーも交換されることなく、つまり手入れされずに放置されていたピアノなのか、音に潤いもないし、伸びも色艶もありません。
食べごろを過ぎた、しぼんだ果物みたい。

ではこのピアノを選んだことは失敗だったのか?
それはなんともいえませんが、少なくとも今どきの、うわべのキラキラ感ばかりが前に出るピアノで弾くよりは、このくたびれたピアノで弾いたぶん、反田氏はピアノ側の華やかさに一切頼ることなく正味の実力を出したことにもなり、個人的にはこちらのほうがよかったと思います。

CDケースの裏側を見てみると、後半のパガニーニのラプソディは昨年日本でライブ録音されたもののようなので、そっちに進めてみると、今度はやたらエッジの立ったジンジンいう音で、これは例のホロヴィッツのピアノだろうと直感しました。

このピアノもだいぶ聴いたので今は新鮮味はなく、こうなると購入意欲はガクンと半減し、しばらく両耳をヘッドホンに突っ込んだまま、買うか止めるか思案にふけりました。演奏自体もこれもまた別の番組で見たように、あまり反田氏の直感が炸裂するようなものではなく、どちらかというと安全運転の印象があり、ピアノ、演奏ともに、ちょっと期待したほどじゃないな…という気がしました。

特に協奏曲は、人の意見が入りすぎた演奏特有のつまらなさがあり、せっかくの才能が閉じ込められた感じがするのは、ピアノに限らず偉大な教師といわれる人の生徒にはときどき見られること。
音楽の世界では、若いころに開花する才能は珍しくないけれど、それをどう育てるかは甚だ難しいことだと思います。いまさら一般の音大生のようにただレッスンを積んで平凡さが入り過ぎることは最も危険と思われるので、あるていど自由にさせて、たまに信頼に足る人から全体的なアドバイスを受けるぐらいがいいように思います。
ピアノ選びは直感だったけれど、演奏は直感が足りなかった感じでした。

このCDでは、第2協奏曲ではイタリアのRAI国立交響楽団というのが共演していましたが、なんとなく二流という感じがして、それにくらべるとパガニーニラプソディの相手である東京フィルのほうが、まだずっと上手い気がしました。

それと、録音がまったく好みじゃなく、平坦で広がりも立体感もない、固くて詰まったような音。
これはCDにとって極めて大切なことで、ここではじめてレーベルはどこかと見てみるとDENON。そういえばリストのアルバムも同じで、その録音の酷さには心底呆れていたところだったので、これは社風なの?と思いました。

最近はマイナーレーベルでも、わっ!と思うほど見事な録音がたくさんあるのに、あまりにも音楽性のない音には残念のため息が出るばかりでした。その点では後発のレーベルのほうが、白紙からのスタートで美しく収録しているものがたくさんあるし、逆に伝統あるレーベルのほうに実は変な何かが受け継がれていたりするので感覚が硬直しているのかもしれません。