ダニエル・バレンボイムは南米出身の神童の誉れ高いピアニストで、早い時期から指揮活動との二足のわらじを実践する世界屈指の巨匠…であるにもかかわらず、マロニエ君はバレンボイムという人(とくにピアノ)が苦手なので、彼のCDもあまり持っていません。
最近はアルゲリッチとの共演でCDが何枚か出たので、これらは仕方なく買ったぐらい。
そのバレンボイムのアイデアで、あえて今、並行弦のピアノを作ったことはこれまでも何度か書いた記憶があります。クリス・メーネ(だったよく覚えてません)とかいうヨーロッパのピアノ技術者およびその工房と共同開発というかたちで誕生したようです。
スタインウェイDのボディその他をベースとしているものの、並行弦のポイントであるフレームなどは、スタインウェイとはまったくの別物です。
このピアノ、もともとバレンボイムの旗振りで立ち上がった製作プロジェクトだったのかもしれませんが、実際の研究・設計・製造はいうまでもなく技術者で、にもかかわらず鍵盤蓋の中央(ふつうYAMAHAとかSTEINWAY&SONSと金文字が入っているところ)には、堂々とBARENBOIMの文字が誇らしげに鎮座しているのは、そんなものかなぁ…と思ったものです。
それはともかく、そのピアノを使った初のCDが(マロニエ君の知る限りで)ブエノスアイレスで行われたアルゲリッチとのデュオコンサートのライブで、通常のスタインウェイDとの組み合わせによるバルトークの2台のピアノとパーカッションのためのソナタなどで、ふわんとした響きの余韻などが絡まって、これはなかなかおもしろいものでした。
そしてこのたび、ついにソロによる『DANIEL BARENBOIM ON MY NEW PIANO』というアルバムがグラモフォンから発売になりました。冒頭に書いたように彼のピアノは苦手だけど、このピアノを音を聴くためには買うしかないわけで、買いました。
曲目はスカルラッティの3つのソナタ、ベートーヴェンの自作の主題による32の変奏曲、ショパンのバラード第1番、ワーグナーの聖杯への厳かな行進、リストの葬送とメフィスト・ワルツという、いわばバロックからロマン派までいろいろ弾いてみましたという感じ。
その感想を書くのは非常に難しい。
まずやはり、バレンボイムのピアノが苦手というのが先に立ってしまい、純粋にピアノの音を楽しむことより演奏そのものが気になりました。印象は昔と少しも変わらないもので、人間は弾く方も聴く方も変わらないものだと痛感。
マロニエ君の耳には、音や音色に配慮というものがなく、手当たり次第ぞんざいに弾くという感じ。
たしかに並行弦ならではと思える、古典的な響きはあるけれど、粗野に感じてしまう時もあるのは事実で、これが楽器の問題なのか、ピアニスト故のことなのか、よくはわからりません。
並行弦のピアノでも新造品なので、楽器そのものが骨董品という感じがないのはさすがで、この点ハンディなしにこのシステムの特色を感じることができるという点では、なるほど画期的なことかもしれません。
ただし、はっきり言ってしまうと総論としてマロニエ君はどうしても美しいとは思えませんでした。
たまたま見たピアノ技術者のブログでは、「響きが非常にクリアー(略)曲がすーっと耳に入ってきました。」とあり、技術者の耳にはそんなふうに聴こえるらしいですが、やはりプロフェッショナルの耳と素人の音楽好きとでは聴いているポイントが違うのでしょう。
マロニエ君の耳には、音のひとつひとつがポーンと鳴っているのはわかっても、それが曲として流れたときに、全体がクリアーに聴こえる──つまりなめらかな音の連なりとか澄んだハーモニーになっているようには聞こえませんでした。
とくに和音や激しいパッセージになった時などには、ワンワンなって響きが収束しきれていない気がするし、あまり耳をそばだてずに普通に聴いたときに洗練されたものを聴いたという後味が残らず、本来クリアーなはずなのに、全体としては濁った感じの印象が残りました。
ただ云えることは、これをもし内田光子やアンドラーシュ・シフに弾かせたなら、まったく違った面が出てくるだろうし、そういう巧緻なピアニズムで聴かせる人の演奏でぜひ聴いてみたいというのが正直なところです。
しかし、このピアノの名前がBARENBOIMである以上、他のピアニストが弾くチャンスがあるのかどうかわかりませんね。