聴いていてなんとも不思議な気持ちになるピアニストっているものです。
不思議の意味もいろいろあるけれど、ここで言いたいのは、その人の特徴や良さはどこなのか、何を言いたいのかがまるきりわからないという意味での不思議。
エリザベート・レオンスカヤは以前からそれなりに名の通った中堅ピアニストだったけれど、昔からマロニエ君はこの人のCDを聴いて、そのどこにも共感できるものを体験したことがありませんでした。
いろんなピアニストがいて、個性やスタンスがそれぞれ違うのは当然ですが、好き嫌いは別にしても目指している方向ぐらいは、聴いていれば察しはつくのが9割以上でしょう。
ところが、彼女にはそれがまったく見えないという点で印象に残っているピアニストでした。非常に真面目で、正統派といったイメージがあるけれど、マロニエ君にとってはどこが魅力なのかわからない不思議な人。
CDではショパンやブラームスなど、いくつか買ってはみたものの、一度聴いてあまりにもときめきがないことに却ってお寒い気分になってしまい、そのままにしているCDが探せば何枚かあるはず。
そんなレオンスカヤですが、昨年のサントリーホールでトゥガン・ソヒエフ指揮するN響の定期公演に出演し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾いたようで、録画でそれを見てみることに。
長い序奏の後、3回にわたるハ短調のユニゾンのスケールによってソロピアノが開始されますが、グリッサンドのように音が団子状態で繋がっているのにはいきなりびっくりしました。
演奏が進むにつれ、ますます意味不明。
具体的なことは書くこともできないし、その記述に敢えて挑戦しようとは思いません。
すくなくとも、大晦日にYouTubeで視聴した昔のアニー・フィッシャー(オーケストラは同じくN響)の同曲とは、マロニエ君にとってはまさに雲泥の差でしかなく、これがいかに素晴らしいものであったかを、他者の演奏によってさらに強固に裏書してもらったようなものでした。
このレオンスカヤ女史は、演奏はまったく好みではなかったけれど、演奏前のインタビューではなかなかいいことをおっしゃっていました。
「ピアノを演奏するときの揺るぎない法則があります」
「手の自由な感覚と同時に手の重みを感じること。そうすると重く弾くことも軽く弾くことも可能です」
若いピアニストへのアドバイスでは
「鍵盤はタイプライターではない、ペダルは車のアクセルではない。」
「ピアノで上手く歌えないときは、声(声に出して歌ってみる)に頼ってみるといい。」
楽譜の読み方について
「楽譜を正しく読むとはどういうことか。音符についた点やスラーで作曲家は何を表現したかったか考えねばなりません。」
「スタッカートやアクセントを単にその通りに演奏しても意味がありません。」
いちいちごもっともなのだけれど、さてその方の演奏に接してみて、こういう言葉を発する人物が、いざピアノを弾きだすとあのような演奏になってしまうことに、聴いているこちらの整理がつかないような違和感を感じてしまうのをどうすることもできませんでした。
ピアノで歌う…作曲家の表現したかったもの…。
アンコールにはなんとショパンのノクターンの有名なop.27-2が演奏されましたが、ベートーヴェンの3番のあとにこういう作品をもってくるというセンスが、さらにまた理解不能でした。
後半はドヴォルザークの新世界からで、その残り時間に、東京文化会館少ホールで行われたボロディン弦楽四重奏団とレオンスカヤによる、ショスタコーヴィチのピアノ5重奏曲から抜粋が放送されました。
サントリーホールの協奏曲では新しめのスタインウェだったのに対し、こちらではヤマハのCFXで、スタインウェイに比べてエッジの立った音で、パンパン華やかに鳴っているのが印象的でした。