完成度

先日のNHK-Eテレ、クラシック音楽館ではN響定期公演の後のコンサートプラスのコーナーで、スタジオ収録された仲道郁代さんのショパンが放送されました。
ショパンが生きていた時代のプレイエルと現代のスタインウェイを並べて、ショパンの有名曲を弾くというもの。

同じプレイエルでも、コルトーなどが使ったモダンのピアノとは違い、いわゆるフォルテピアノ世代なので、音も姿形もかなり古い骨董的な感じがします。

音が出た瞬間に、ぽわんと温かい音が広がるのは心地良いし、現代のピアノが持ち合わせない味わいがあることはじゅうぶん感じつつも、いかんせん伸びがなくやはり発展途上の楽器という印象は免れませんでした。

冒頭の嬰ハ短調のワルツだけ、両方のピアノで奏されましたが、はじめにプレイエルを聴いてすぐスタインウェイに移ると、まず明確に音程が高くなり、楽器に圧倒的な余裕があり、耳慣れしていることもあってとりあえずホッとしてしまうのは事実でした。

まるで木造建築と近代的なビルぐらいの違いを感じました。
むろん木造は素晴らしいけれど、より完成度が欲しい気がします。
スタインウェイが素晴らしいのは、ただ近代的で力強くて美しいというだけではなく、極限まで完成された楽器という部分が大きいように思います。このいかにも居ずまい良く整った楽器というのは、それだけで心地よく安心感を覚えます。

個人的には、比べるのであれば、古いプレイエルとモダンのプレイエルを弾き比べて欲しかったし、同じようにモダンのプレイエルとスタインウェイの比較のほうが、より細かい違いがわかるように思いました。

というか、フォルテピアノと現代のスタインウェイでは、根本があまりにも違いすぎてあるいみ比較にならず、かえってそれぞれの特徴を感じるには至らないような気がしました。
そもそも、差とか違いというのは、もっと微妙な領域のものだと思うのです。

とりわけショパン~プレイエルにこだわるのであれば、プレイエルらしさをもっと引き出すような焦点を与えてほしかった気がしますが、この企画は2週続くようで、次の日曜にも続きが放送されるとのことでした。


演奏やピアノとは直接関係ないことですが、仲道さんのドレスがちょっと気になりました。
趣味の問題まであえて触れようとは思いませんが、真っ赤なドレスのサイドの脇の下から腰のあたりまでが穴が空いたようになっていて、実際には肌色のインナーを付けておられるのでしょうけど、パッと目にはその部分の肌が大きく露出しているように見えて、せっかくの演奏を聴こうにも視覚的に気になってしまいます。
これって今どきの女性演奏家のひとつの潮流なの?って思いました。

この方向に火をつけたのは、まちがいなくブニアティシヴィリとユジャ・ワンであることに異論のある方はいないでしょう。
必要以上にエロティックな衣装で人の目をひくのは、言葉ではどんな理屈もつけられるのかもしれないけれど、個人的にはまったく賛成できません。とくにこの外国勢ふたりに至っては、節度を完全に踏み越えてしまっており、このままではどうなってしまうのかと思うばかりで、ピアニストのパフォーマンスは、ナイトクラブのショーではないのだから、その一線は欲しいというか…当たり前のことだと思う。

少なくとも、クラシックの演奏家がそんな格好をしてくれてもちっとも嬉しくもありがたくもないというのが本音であって、スケベ心を満たしたいなら、こういうものに期待せずともほかになんだってあるでしょう。
個人的な好みで言うと、よくある女性の肩がすべてあらわになって紐一本ないようなドレスも見ていて心地よくはなく、半分裸みたいで落ち着かない感じがするし、やはり演奏には演奏の場にふさわしい服装というのはあるように思います。

この調子では、そのうち女性ファン相手に、男性ピアニストがピチピチのランニング一枚に短パン姿でピアノを弾くということだってアリということになりかねません。ひええ。

衣装ひとつでも、要はそのピアニストが何によって勝負をしようとしているのかがわかりますね。
仲道さんもわずか30分の間に、お召し替えまでされていましたが、そこまでして「見せる」ことを意識するということに、よほどの自信とこだわりがおありなんだろうなぁと思ってしまいました。