苦手なもの

ろくに勉強もせず、やれ参考書だ何だと道具ばかり揃えたがるタイプがいますが、マロニエ君にも同じようなところがあり、自室に安い練習用アップライトピアノを置こうかどうか、性懲りもなく馬鹿なことを画策しています。

エー?、そんなものが要るほど練習するの?、と問われれば、正直言ってそんな見込みはないし、むろんそれに値する使い方ができる自信もありません。
だいたい本当に練習する人は状況をとやかく言う前にちゃんと練習するのであって、マロニエ君の場合はそういう環境を整えることそのものに、今たまたま楽しさを見出しているのかもしれません。

だからどうしても必要ということより、もっぱら自分の満足のためという悪癖がまた顔を出してしまった見るべきなんでしょう。しかもそのことを当人がすでにこの段階でうすうす自覚しているのですから、もうほとんど救いがたいともいえるわけです。

ただ、基本それはそうなんだけれど、夜自室に戻ってからちょっと弾いてみたい曲とか楽譜があったりすると、ちょっと指を動かしてみたいことがあるのも事実です。そんなときちょっとアップライトピアノがあれば真ん中の弱音ペダルを使って(時間帯にもよりますが)控えめに譜読みするぐらいのことは可能だというのが苦しい言い分というか、それができたらいいなという目論見なわけで、もちろん狙うのは中古です。

そういう目的ならサイレントピアノという手もあるにはあるけれど、あれは実際アコースティックピアノを土台としながら本来の発音機構を殺し、ヘッドホンで電子音を聞くものだからはじめから除外していました。というのもマロニエ君はヘッドホンというのが、たとえどれほど優れたものであってもストレスで、個人的にどうしても苦手。
あれを頭と両耳につけて音楽を聴いたりピアノを弾いたりする気にはなれません。
なので、電子ピアノもまったく興味がなく、これを部屋に置く気はゼロ。

ヘッドホンがダメという話をあるピアノ店のご主人にしていたら、それならスピーカーをサイレントピアノのヘッドホンジャックへ繋げばヘッドホンもつけなくていいし、スピーカーのボリュームも調整できるからいいのでは?というアイデアを授けてくださいました。
で、我が家には、タイムドメインの小さいながらも質の良い小型スピーカーがあったのを思い出して、それを引っ張り出し、とあるヤマハのサイレントピアノに繋いでみることに。

…なるほどたしかに音はでました。
でも、なにこれ? ぜんぜん面白くないし、ぜんぜん楽しくない。
そもそもピアノを弾いているという喜びもないし実感もない!
どんな立派なピアノからサンプリングされたか知らないけれど、うすっぺらなピアノもどきの音が出てくるだけで、美しさもまったくない。
「通常は生ピアノ。深夜はスピーカに繋いで小さなボリュームで」にはかなり期待したものの、5分もしないうちにテンションは急降下、風船の空気が抜けるように熱も冷めていきました。

これは絶対に自分じゃ弾かないし、ひどく後悔することを直感しました。
まさに、音楽のオの字も、あたたかみのアの字も、楽しさのタの字もない、作りもののウソの世界。
あまりにも嫌だったので、最後にスピーカーを外して、サイレント機能をOFFにすると、当たり前ですが普通にピアノの音になり、その変化の激しさにはおもわず「うわぁ!」と声を上げたくなほどの違いで、アップライトであれなんであれ、生の音はなんと素晴らしいのかを再認識することに。

これなら、通常のアップライトの弱音ペダル(弦とハンマーの間に横長いフェルト布が介入してきて音を弱くする)もかなり楽しくはないけれど、あれはまだいちおうピアノの発音機構を使って出している音ではあり、いくらかマシだと(今は)思います。

ところで、過日行ったピアノ店で音が気に入っていた1960年代のヤマハは2台とも売れてしまったようでした。
あのとき買っておけばよかったと後悔しましたが、そんなに焦ることでもないし、ここは気長に行こうと思います。